-スピリチュアリズムはイエス・キリストをどう位置付けたらよいのでしょうか。

 「この問題の取り扱いには私もいささか慎重にならざるを得ません。なるべくなら人の心を傷付けたり気を悪くさせたくはないからです。が、私の知る限りを、そして又、私が代表している霊団が理解している限りの真実を有りのままを述べましょう。それにはまずイエスに纏わる数多くの間違った伝説を排除しなければなりません。それがあまりに永い間事実とごた混ぜにされて来た為に、真実と虚偽の見分けがつかなくなっているのです。
 まず歴史的事実から申しましょう。インスピレーションというものはいつの時代にも変わらぬ顕と幽とを繋ぐ通路です。人類の自我意識が芽生え成長し始めた当初から、人類の宿命の成就へ向けて大衆を指導する者へインスピレーションの形で指導と援助が届けられて来ました。地上の歴史には予言者、聖人、指導者、先駆者、改革者、夢想家、賢者等々と呼ばれる大人物が数多く存在しますが、その全てが、内在する霊的な天賦の才能を活用していたのです。それによってそれぞれの時代に不滅の光輝を付加して来ました。霊の威力に反応して精神的高揚を体験し、その人を通じて無限の宝庫からの叡智が地上へ注がれたのです。
 その一連の系譜の中の最後を飾ったのがイエスと呼ばれた人物です。(第一巻の解説〝霊的啓示の系譜〟参照)ユダヤ人を両親として生まれ、天賦の霊能に素朴な弁舌を兼ね備え、ユダヤの大衆の中で使命を成就することによって人類の永い歴史に不滅の金字塔を残しました。地上の人間はイエスの真実の使命については殆ど知りません。僅かながら伝えられている記録も汚染されています。数々の出来事も、ありのままに記述されておりません。増え続けるイエスの信奉者を権力者の都合のよい方へ誘導する為に、教会や国家の政策上の必要性に合わせた捏造と改ざんが施され、神話と民話を適当に取り入れることをしました。イエスは(神ではなく)人間でした。物理的心霊現象を支配している霊的法則に精通した大霊能者でした。今日でいう精神的心霊現象にも精通していました。イエスには使命がありました。それは当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせることでした。
 では〝バイブルの記録はどの程度まで真実なのか〟とお聞きになることでしょう。福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四書)の中には真実の記述もあるにはあります。例えばイエスがパレスチナで生活したのは本当です。低い階級の家に生まれた名も無き青年が聖霊の力故に威厳をもって訓えを説いたことも事実です。病人を霊的に治癒したことも事実です。心の邪な人間に取り憑いていた憑依霊を追い出した話も本当です。しかし同時に、そうしたことが全て霊的自然法則に従って行われたものであることも事実です。自然法則を無視して発生したものは一つもありません。なん人といえども自然法則から逸脱することは絶対に出来ないからです。イエスは当時の聖職者階級から自分達と取って代わることを企む者、職権を犯す者、社会の権威をないがしろにし、悪魔の声としか思えない教説を説く者として敵視される身となりました。そして彼等の奸計によってご存知の通りの最後を遂げ、天界へ帰った後直ぐに物質化して姿を現し、伝道中から見せていたのと同じ霊的法則を証明してみせました。臆病にして小胆な弟子達は、遂に死んでしまったと思っていた師の蘇りを見て勇気を新たにしました。その後はご承知の通りです。一時はイエスの説いた真理が広がり始めますが、又ぞろ聖職権を振り回す者達によってその真理が虚偽の下敷きとなって埋もれてしまいました。
 その後、霊の威力は散発的に顕現するだけとなりました。イエスの説いた真理はほぼ完全に埋もれてしまい、古い神話と民話が混入し、その中から、後に二千年近くに亘って説かれる新しいキリスト教が生まれました。それは最早イエスの教えではありません。その背後にはイエスが伝道中に見せた霊の威力はありません。主教達は病気治療をしません。肉親を失った者を慰める言葉を知りません。憑依霊を除霊する霊能を持ち合わせません。彼等は最早霊の道具ではないのです。
 さて、以上、至って大雑把ながら、キリスト教誕生の経緯を述べたのは、イエス・キリストを私がどう位置付けるかというご質問にお答する上で必要だったからです。ある人は神と同じ位に置き、神とはすなわちイエス・キリストであると主張します。それは宇宙の創造主、大自然を生んだ人間の想像を絶するエネルギーと、二千年前にパレスチナで三十年ばかりの短い生涯を送った一人の人間とを区別しないことになり、これは明らかに間違いです。相も変わらず古い民話や太古からの神話を後生大事にしている人の考えです。
 ではイエスをどう評価すべきか。人間としての生き方の偉大な模範、偉大な師、人間でありながら神の如き存在、ということです。霊の威力を見せ付けると同時に人生の大原則-愛と親切と奉仕という基本原則を強調しました。それはいつの時代にも神の使徒によって強調されて来ていることです。もしもイエスを神に祭り上げ、近付き難い存在とし、イエスの為せる業は実は人間ではなく神がやったのだということにしてしまえば、それはイエスの使命そのものを全面的に否定することであり、結局はイエス自身への不忠を働くことになります。イエスの遺した偉大な徳、偉大な教訓は、人間としての模範的な生き様です。
 私達霊界の者から見ればイエスは、地上人類の指導者の永い霊的系譜の最後を飾る人物-それまでのどの霊覚者にもまして大きな霊の威力を顕現させた人物です。だからと言って私共はイエスという人物を崇拝の対象とするつもりはありません。イエスが地上に遺した功績を誇りに思うだけです。イエスはその後も私達の世界に存在し続けております。イエス直々の激励に与ることもあります。ナザレのイエスが手がけた仕事の延長とも言うべきこの(スピリチュアリズムの名の下の)大事業の総指揮に当たっておられるのが他ならぬイエスであることも知っております。そして当時のイエスと同じように、同種の精神構造の人間からの敵対行為に遭遇しております。しかしスピリチュアリズムは証明可能な真理に立脚している以上、きっと成功するでしょうし、又是非とも成功させなければなりません。イエス・キリストを真実の視点で捉えなくてはいけません。すなわちイエスも一人間であり、霊の道具であり、神の僕であったということです。あなた方もイエスの為せる業の全てを、或いはそれ以上のことを、為そうと思えば為せるのです。そうすることによって真理の光と悟りの道へ人類を導いて来た幾多の霊格者と同じ霊力を発揮することになるのです」

-バイブルの中であなたから見て明らかに間違っている事例を挙げて頂けませんか。

 「よろしい。例えばイエスが処刑された時に起きたと言われる超自然的な出来事がそれです。大変動が起き、墓地という墓地の死体が悉く消えたという話-あれは事実ではありません」

-イエスの誕生に纏わる話、つまり星と三人の賢者の話(マタイ2)はどこまで真実でしょうか。

 「どれ一つ真実ではありません。イエスは普通の子と同じように誕生しました。その話は全て造り話です」

-三人の賢者はそれきり聖書の中に出て来ないのでどうなったのだろうと思っておりました。

 「カルデア、アッシリア、バビロニア、インド等の伝説からその話を借用したまでのことで、それだけで用事は終ったのです。その後続けて出て来る必要がなかったということです。よく銘記しておかねばならないことは、イエスを神の座に祭り上げる為には、周りを畏れ多い話や超自然的な出来事で固めねばならなかったということです。当時の民衆は普通の平凡な話では感動しなかったのです。神も(普遍的なものでなく)一個の特別な神であらねばならず、その神に相応しいセット(舞台装置)をしつらえる為に、世界のあらゆる神話や伝説の類が掻き集められたのです」
 別の質問に答えて-
 「イエスは決して自分の霊能を辱めるような行為はしませんでした。いかなる時も自分の利益の為に使用することをしませんでした。霊的法則を完璧に理解しておりました。そこが単に偉大な霊能者であったこと以上に強調されるべき点です。歴史上には数多くの優れた霊能者が輩出しております。しかし完璧な理解と知識とをもって霊的法則をマスターするということは、これは全く別の次元の問題です」
 更に幾つかの質疑応答の後、こう述べた。
 「人間が地上生活を生き抜き成長していく為に必要な真理は、これ以上付け加えるべきものは何もありません。後は真理をより深く理解すること、その目的をより深く認識すること、神との繋がり、及び同胞との繋がりに関してより一層理解を深めることだけです。新たに申し上げることは何もありません。私に出来ることは、霊的に受け入れ態勢の整った人々の魂に訴えるように、私のこれまでの経験の成果を優しく説くことだけです。叡智というものは体験から生まれます。十分な体験を経て魂が要求するようになった時に初めて真理が受け入れられます。それから、今度はその知識をどうするかの段階となります。その知識を他人の為に活用する義務の問題です。そうした過程は実に遅々としたものですが、人類の進化はそういう過程を経るしかないのです。啓蒙の領域を絶え間なく広げていく過程であり、退嬰的な暗黒の勢力との絶え間ない闘いです。一人ずつ、或いは一家族ずつ、悲しみや苦しみ、辛い体験を通じて少しずつ魂が培われ、準備が整い、強烈な感動を覚えて、漸く悟りを開くのです。
 もう、イエスのような人物が出現する必要はありません。たとえあのナザレのイエスが今の地上に戻って来たとしても、多分地上で最も評判の悪い人間となるでしょう。特にイエスを信奉し師と崇めるキリスト教徒から一番嫌われることでしょう」

-十四歳から三十歳までの間イエスは何をしていたのでしょうか。

 「その間の年月は勉学に費やされました。イエスの教育に当たった人達によって、真の賢者のみが理解する霊の法則を学ばさせる為に各地の学問の施設へ連れて行かれました。心霊的能力の養成を受けると同時に、その背後の意味の理解を得ました。要するにその時期は知識の収得と才能の開発に費やされたわけです」

-その教育施設はどこにありましたか。

 「幾つかはインドに、幾つかはエジプトにありました。最も重要な教育を受けた学校はアレクサンドリアにありました」

 訳者注-モーゼスの『霊訓』によるとインドは世界の宗教思想の淵源で、エジプトの霊的思想の根幹も皆インドから摂り入れたものだという。イエスの幼少時に両親がエジプトへ連れて行ったのも、直接の目的は迫害を逃れる為だったが、その裏にはインドから輸入された霊的真理を学ばせるという背後霊団の意図があった。長じては直接インドへ行って修業しており、今日でいうヨガにも通暁し、水と少しの果物だけで一ヶ月位平気で過ごしたという。