(シルバーバーチの霊訓8巻より)

 本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルでの過去七年におけるシルバーバーチの霊言の速記録を読み返し、ふるいにかけ、そして纏め上げたものである。夏期を除いて、交霊会は月に一回の割合で開かれた。
 私の狙いはシルバーバーチの哲学と教訓を個人的問題、社会的問題、及び国際的問題との関連において纏めることである。選んだ題目はなるべく多岐にわたるよう配慮した。シルバーバーチはとかく敬遠されがちな難題、異論の多い問題をあえて歓迎する。それを、ぎこちない地上の言語の可能性を最大限に発揮して、分かり易い、それでいて深遠な響きをもった言葉で解き明かしてくれる。
 私はこの穏やかな霊の聖人から受けた交霊会での衝撃を非常に印象深く思い出す。開会直前のバーバネル氏の落ち着かぬ様子を見るに見かねて目を外らすことかしばしばだった。いつもはジャーナリズムとビジネスの大渦巻のど真ん中に身を置いて平然としている、この精力的で幾分エネルギッシュ過ぎる程の人物がシルバーバーチに身を委ねんとして、その訪れを待っている身の置き所のなさそうな何分間かは、本人にとっては神の裁きを待っている辛い瞬間のようで、私には痛々しく思えるのだった。
 しかし、シルバーバーチの訪れはいたって穏やかである。そしてそのメッセージはいたって単純素朴であるが、今崩壊の一途を辿りつつあるキリスト教の基盤にとっては、あたかもダイナマイトのような衝撃である。十八歳の青年だった懐疑論者のバーバネルをある交霊へ誘って入神させて以来ほぼ半世紀経った今、その思想は一貫して変わっていない。
 変わっていないということは進歩がないということではない。その間に幾つかの世界的危機と社会的変革がありながら、それを見事に耐え抜いてきたということは、その訓えの本質的な強固さと実用性を雄弁に物語っていると言えよう。
 これからシルバーバーチに登場して頂くお膳立てのつもりのこの前書きも、結局はシルバーバーチの霊言を引用するのが一番良いように思われる。ある日の交霊会でシルバーバーチがこの私にこう語ったことがある。
 「活字となってしまった言葉の威力を過小評価してはいけません。活字を通して私達は海を越えて多くの人とのご縁が出来ているのです。読んでくださる私の言葉、と言っても、高級界の霊団の道具として勿体なくもこの私が取り次いでいるだけなのですが、それが、読んで下さった方の生活を変え、歩むべきコース、方角、道標となっております。無知が知識と取って代わり、暗闇が光明に代わり、模索が確信に代わり、恐怖が平静と取って代わります。地上の人間としての義務である天命の成就に向かって踏み出しております。
 それ程のことが活字によって行われているのです。それに携わるあなたは光栄に思わなくてはいけません。話し言葉はその内忘れてしまうことがありますが、活字にはそれがありません。永久にそこにあります。何度でも繰り返して読むことが出来ます。理解力が増すにつれて新しい意味を発見することにもなります。
 かくして私達は、この世には誰一人、又何一つ希望を与えてくれるものはないと思い込んでいた人々に希望の光を見せてあげることが出来るのです。あなたも私も、そして他の大勢の人々が参加出来る光栄な仕事です。それは自ずと、その責任の重さ故に謙虚であることを要求します。その責任とは、自分の説く霊的真理の気高さと荘厳さと威厳をいささかたりとも損なうようなことは行わないように、口にしないように、伝達しないように慎むということです」
 そういう次第で、本書には私個人の誉れとすべきものは何一つない。関係者一同による協力の産物である。では、主役の古代霊、穏やかな老聖人、慈愛溢れる支配霊にご登場願うことにしよう。

 トニー・オーツセン(シルバーバーチの霊訓第八巻編者)