(シルバーバーチの霊訓11巻より)
明日から週末となる寛いだ金曜日の夜のことだった。家の電話がけたたましく鳴った。テスター氏からだった。
「彼が行っちゃったよ」とテスター氏があっさりとそう言った。
「行った?病院ですか?」
「違う!連れて行かれたんだよ」
「連れて行かれた?どこへですか?」
そう聞き返している内にテスター氏の言葉の衝撃がやっと伝わってきた。
動転したのか、気がついたら私は数週間前から止めていたタバコに火をつけていた。そして、もうタイプライターに向かっていた。パチパチという音と、時折通り過ぎる車の音以外は何も聞こえない。静かな永い永い夜がこうして始まった。
1981年7月17日のことだった。
他のスタッフに次々と衝撃のニュースを伝えてから、私はサイキックニューズ社の事務所へ向かった。気が重かった。そして顔が幾分ほてっていた。
しかし今は瞑想したり思い出に耽っている場合ではなかった。電話をしなければならない。電報を打たねばならない。明日のサイキックニューズ紙を組み替えないといけない。 そうした用事を一通り済ませた後、又重い足を引き摺りながら家に帰った。もう夜明けも近い。私は孤独感を噛み締めながらモーリス・バーバネルの死亡記事を書いた。本人の承諾も得ずに、又求められもしないのに、若輩の私がその大切な仕事を引き受けて、恐縮の気持を禁じ得なかった。
その日が明けて再びサイキックニューズ社へ出向いてから私は、書庫の中からバーバネルが〝最後に出すべき記事〟として用意していた原稿(日本語版『シルバーバーチと私』)を取り出して読んだ。
六十年余りに亘って氏は数え切れない程の交霊会や心霊的な行事で常に最前列席に座り続け、〝ミスター・スピリチュアリズム〟のニックネームをもらっていた。その彼が今、その存在を自ら必死に擁護し讃美し訴えてきた霊界へと旅立ってしまった。
その現実を目の前にして私は、ふと、数年前にその原稿を預かった時のことを思い出した。それを一読した時、〝今度これを読む時はもうこのご老体はあの世へ行ってしまってるんだな〟という感慨が過ぎったものである。それが今まさに現実となってしまった。霊は肉体の束縛から離れ、その肉体も今は静かに横たわっている。
不思議なことに、数週間前にボス(と我々スタッフは情愛を込めて呼んだものである)が私に若かりし頃のことをしみじみと語ってくれた。私には大きな明りが消えたような思いがした。どうしようもない孤独感と心もとなさが襲ってきた。目の前でドアが閉じられた感じで、これから先、サイキックニューズ社はどうなるのか、誰も知る由もなかった。
私が初めてボスと会ったのは私がまだ二十歳の、ジャーナリストとしての駆け出し時代だった。以来私は彼から多くのことを学んだ。ジャーナリズムのことだけでなく人生そのものについて教えてもらった。四十歳程の差があったので、お互いの関係には祖父と孫のようなものがあった。私が見当違いのことを口にすると、度の強いメガネ越しにじっと見つめ、ほんの一言二言注意するだけで、全てを若気の至りにしてくれていたようである。
又サイキックニューズ社は五時半が終了時刻で、スタッフは必ずバーバネルの部屋まで来て〝帰ってもよろしいでしょうか〟と言うしきたりになっていたが、私だけはただドアをほんの少し開けて頭を首まで突っ込むだけで、何も言わなくてよかった。ボスの方もちらっと私の方へ目をやってニッコリと笑って頭をコクンとするだけだった。
バーバネル程精力的に仕事をした人間を私は知らない。いつも誰よりも早く来て、帰るのはいつも最後だった。そうした中にあっても部下の誕生日をちゃんと憶えていて、上等のタバコをプレゼントする心遣いを忘れない人だった。
私の人生を運命づけた二十歳の誕生日のことを今も鮮明に思い出すことが出来る。ボスが昼食をご馳走してくれると言うので一緒に出かけると、珍しくパブ(ビールと軽食の出る社交場)へ行った。アルコールは滅多に口にせず、こういう場所へは一度も来たことのない人なので私は驚いたが、さすがに自分はトマトジュースと〝ピクルス抜き〟のサンドイッチを注文した。そして私への誕生日のプレゼントとして、今夜シルバーバーチの交霊会へ招待しよう、と言った。それが私にとって最初のシルバーバーチとの出会いだった。
シルバーバーチがこの病める、お先真っ暗の、混乱した地上世界にもたらした慰安と高揚の大きさは到底言葉で尽くせるものではない。あらゆる民族、あらゆる時代、あらゆる文化に通用する永遠、不変の真理である。
しかしそれは同時に霊媒モーリス・バーバネルとその献身的な伴侶だったシルビア・バーバネルの功績でもあった。この二人の〝愛の僕〟は真に勇気ある魂だった。今もそうであろう。そしてこれからもずっとそうであろう。二人は任されたブドウ園でコツコツと厳しい仕事に精励して、次の仕事場へ旅立って行った。
バーバネルにも色々と欠点があった。我々も皆同じである。彼自らよく言ったものである。
「ラクダには自分のコブが見えないものだよ」
が、彼は何ものも恐れず、何ものにも媚びることなく、神の計画の推進の為にシルバーバーチと共に大きな役割を果たした。このコンビは文字通り地球の隅々の無数の人々に声をかけ、人生に疲れ悩める人々に希望を、暗く沈んだ心に一条の光明を、そして混乱と疑念の渦巻くところに平穏と確信をもたらした。
今二人は霊界にいる。差し当たっての地上での使命を全うしたばかりである。図太い神経と決意と確信をもって説いた霊界の美しさと恵みと叡智をゆっくりと味わっていることであろう。
引き続いての二人の旅の無事を祈る。そして、ささやかながら、我々からの愛と敬意と賞賛の気持を手向けよう。
トニー・オーツセン(シルバーバーチの霊訓第11巻編者)
明日から週末となる寛いだ金曜日の夜のことだった。家の電話がけたたましく鳴った。テスター氏からだった。
「彼が行っちゃったよ」とテスター氏があっさりとそう言った。
「行った?病院ですか?」
「違う!連れて行かれたんだよ」
「連れて行かれた?どこへですか?」
そう聞き返している内にテスター氏の言葉の衝撃がやっと伝わってきた。
動転したのか、気がついたら私は数週間前から止めていたタバコに火をつけていた。そして、もうタイプライターに向かっていた。パチパチという音と、時折通り過ぎる車の音以外は何も聞こえない。静かな永い永い夜がこうして始まった。
1981年7月17日のことだった。
他のスタッフに次々と衝撃のニュースを伝えてから、私はサイキックニューズ社の事務所へ向かった。気が重かった。そして顔が幾分ほてっていた。
しかし今は瞑想したり思い出に耽っている場合ではなかった。電話をしなければならない。電報を打たねばならない。明日のサイキックニューズ紙を組み替えないといけない。 そうした用事を一通り済ませた後、又重い足を引き摺りながら家に帰った。もう夜明けも近い。私は孤独感を噛み締めながらモーリス・バーバネルの死亡記事を書いた。本人の承諾も得ずに、又求められもしないのに、若輩の私がその大切な仕事を引き受けて、恐縮の気持を禁じ得なかった。
その日が明けて再びサイキックニューズ社へ出向いてから私は、書庫の中からバーバネルが〝最後に出すべき記事〟として用意していた原稿(日本語版『シルバーバーチと私』)を取り出して読んだ。
六十年余りに亘って氏は数え切れない程の交霊会や心霊的な行事で常に最前列席に座り続け、〝ミスター・スピリチュアリズム〟のニックネームをもらっていた。その彼が今、その存在を自ら必死に擁護し讃美し訴えてきた霊界へと旅立ってしまった。
その現実を目の前にして私は、ふと、数年前にその原稿を預かった時のことを思い出した。それを一読した時、〝今度これを読む時はもうこのご老体はあの世へ行ってしまってるんだな〟という感慨が過ぎったものである。それが今まさに現実となってしまった。霊は肉体の束縛から離れ、その肉体も今は静かに横たわっている。
不思議なことに、数週間前にボス(と我々スタッフは情愛を込めて呼んだものである)が私に若かりし頃のことをしみじみと語ってくれた。私には大きな明りが消えたような思いがした。どうしようもない孤独感と心もとなさが襲ってきた。目の前でドアが閉じられた感じで、これから先、サイキックニューズ社はどうなるのか、誰も知る由もなかった。
私が初めてボスと会ったのは私がまだ二十歳の、ジャーナリストとしての駆け出し時代だった。以来私は彼から多くのことを学んだ。ジャーナリズムのことだけでなく人生そのものについて教えてもらった。四十歳程の差があったので、お互いの関係には祖父と孫のようなものがあった。私が見当違いのことを口にすると、度の強いメガネ越しにじっと見つめ、ほんの一言二言注意するだけで、全てを若気の至りにしてくれていたようである。
又サイキックニューズ社は五時半が終了時刻で、スタッフは必ずバーバネルの部屋まで来て〝帰ってもよろしいでしょうか〟と言うしきたりになっていたが、私だけはただドアをほんの少し開けて頭を首まで突っ込むだけで、何も言わなくてよかった。ボスの方もちらっと私の方へ目をやってニッコリと笑って頭をコクンとするだけだった。
バーバネル程精力的に仕事をした人間を私は知らない。いつも誰よりも早く来て、帰るのはいつも最後だった。そうした中にあっても部下の誕生日をちゃんと憶えていて、上等のタバコをプレゼントする心遣いを忘れない人だった。
私の人生を運命づけた二十歳の誕生日のことを今も鮮明に思い出すことが出来る。ボスが昼食をご馳走してくれると言うので一緒に出かけると、珍しくパブ(ビールと軽食の出る社交場)へ行った。アルコールは滅多に口にせず、こういう場所へは一度も来たことのない人なので私は驚いたが、さすがに自分はトマトジュースと〝ピクルス抜き〟のサンドイッチを注文した。そして私への誕生日のプレゼントとして、今夜シルバーバーチの交霊会へ招待しよう、と言った。それが私にとって最初のシルバーバーチとの出会いだった。
シルバーバーチがこの病める、お先真っ暗の、混乱した地上世界にもたらした慰安と高揚の大きさは到底言葉で尽くせるものではない。あらゆる民族、あらゆる時代、あらゆる文化に通用する永遠、不変の真理である。
しかしそれは同時に霊媒モーリス・バーバネルとその献身的な伴侶だったシルビア・バーバネルの功績でもあった。この二人の〝愛の僕〟は真に勇気ある魂だった。今もそうであろう。そしてこれからもずっとそうであろう。二人は任されたブドウ園でコツコツと厳しい仕事に精励して、次の仕事場へ旅立って行った。
バーバネルにも色々と欠点があった。我々も皆同じである。彼自らよく言ったものである。
「ラクダには自分のコブが見えないものだよ」
が、彼は何ものも恐れず、何ものにも媚びることなく、神の計画の推進の為にシルバーバーチと共に大きな役割を果たした。このコンビは文字通り地球の隅々の無数の人々に声をかけ、人生に疲れ悩める人々に希望を、暗く沈んだ心に一条の光明を、そして混乱と疑念の渦巻くところに平穏と確信をもたらした。
今二人は霊界にいる。差し当たっての地上での使命を全うしたばかりである。図太い神経と決意と確信をもって説いた霊界の美しさと恵みと叡智をゆっくりと味わっていることであろう。
引き続いての二人の旅の無事を祈る。そして、ささやかながら、我々からの愛と敬意と賞賛の気持を手向けよう。
トニー・オーツセン(シルバーバーチの霊訓第11巻編者)