神よ、私達はあなたの真理、あなたの叡智、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広める為に、力の限りあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること-真の霊的自我を見出し、暗闇と冷酷と怒りと憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。私達は霊的実在についての単純素朴な真理-正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼等自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊が自らの存在の内部にあること、まさしく天国は彼等の心の中にある-喜びと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分は心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。
 私達は悲しみに暮れる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近付き、あなたがその人々をけっしてお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。私達の使命は地上の全ての地域とその住民に一切の分け隔てなく行き渡っております。あなたの霊は人間界の隅々まで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現れ、意識的存在の全てに顕現されていると認識する故にございます。
 その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いの為に生きる意欲を誘い、あなたの子の全てに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう」
 こう祈った後、最後にサークルのメンバーに向かってこう説いた。

 「私達の訓えの根本は Service (後注)の一語に尽きます。地上の悪弊(ガン)の一つである利己主義に対して、私達は永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。
 私達の説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いの為に自分を役立てるようになって頂きたい。そうすることによって持てる者が持たざる者に幾らかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の中にいる者を啓発してあげることになるからです。
 地上世界は今、もっともっと Service を必要としております。人間の一人ひとりが同じ全体の一部であり、人類の全てに神の霊が流れている-その意味において万人が神の下において平等である-その本性に関する限り平等である、という認識を広める必要があります。性格において、霊格において、進化において、そして悟りにおいて一歩先んじている者が、その持てるものを持たざる者に分け与えんと努力するところに偉大なる行為が生まれます。
 霊の世界の働きかけに応じて働く人々、持てる才能を霊団に委ねる人々は、自分を棄てることによっていつも自分が得をしていることに気付く筈です。何となれば、その行為そのものが一つの摂理に適っているからです。収賄行為ではありません。ご利益目当ての行為でもありません。因果律の作用に他なりません。すなわち、最も多く施す者が最も多く授かるということです」

 訳者注-Service の訳語について

 英語には、民族の文化的背景の違いから、ぴったりと当てはまる日本語が見当たらない単語が幾つかありますが、その最たるものがこの Service です。これをサービスというカタカナにすると〝おまけ〟の意味合いが出て来るので、あえて横文字のまま用いたものですが、本来の意味は他人の為に何かをしてあげることで、テニスの〝サーブする〟という言い方に単的にそれが表れております。すなわち相手に働きかけて何等かの相互関係をもつことです。そこに報酬のあるなしは関係ありません。つまり手数料を取っても Service です。日本人がこれを〝ただで差し上げる〟という意味で使用したことから非常にややこしくなりました。というのは〝奉仕する〟と訳すと日本人は〝無料奉仕〟の観念を思い浮かべますが、本当は有料であっても Service であり、同時に〝無料奉仕〟の意味でも Service を用いるのです。
 日本人はお金を取ると奉仕でなくなる、つまり功徳が消えるかのように考え、お金を取らなかったら大変な功徳積みをしたかのように思う傾向にありますが、その行為によって相手が何等かの益を得ればそれだけで立派な Service であり、功徳積みであり、シルバーバーチもその意味で用いております。金銭的感覚を超越しております。お金を頂くことがいけないことであるかのように考えること自体が既にお金に拘っていることを意味し、これは多分に中国から来た儒教思想の影響ではないかと考えております。つまり幼児期から教え込まれた中国の倫理・道徳思想(四書五経)の文面に拘って本来の意味を取り損ねているのだと思います。
 シルバーバーチはサークルのメンバーも招待客も皆キリスト教国の人間だからキリスト教を引き合いに出し、その教義の誤りを指摘して本来の宗教の有り方を説いているまでで、私は、日本人にとっては儒教思想が西洋人にとってのキリスト教と同じ悪影響を及ぼしている面が多分にあると観ております。いずれそれを神ながらの道との関連において纏めてみたいと考えております。
 それはともかくとして、私はこれまで Service をその場に応じて幾通りにも訳し分けて来ました。他人の為に自分を役立てる、人の為に尽くす、奉仕する、献身する、援助する、手を差し伸べる等々で、文章の前後関係から判断してそう訳し分けた訳です。英文でお読みになる方は常に前後関係、脈絡-英語でいう Context-を見極めた上で意味を読み取ることが大切であることを老婆心ながら申し添えておきます。これも三十年近く大学受験生を教えてきた教師としての習性が言わしめるのでしょうが、そのついでにもう一言付け加えさせて頂けば、柔軟な脳細胞をしている筈の若い学生が文法や構文や語句に拘って本来の意味を取り損ね(それだけならまだしも)オバケのような日本語に訳してしかもそれを変だと思わないのは、教説に拘ってその本来の意味を忘れていながら、形式だけで済ませてそれでよしとする思考パターンと同じで、その辺に私は学制改革だけでは済まされない、もっと奥の深い問題点を見る思いがしております。
 シルバーバーチが教説はどうでもよろしい、人の為になることをすれば、それで立派な宗教ですと言うのは、人生百般に通じる単純にして明快な訓えであると思っております。