話題が一転して教育問題になった。
 「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」
 「人間それ自身についての真理を教える用意がなされていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間も本来が肉体的存在で、それに精神-そして多分魂とおぼしきもの-が宿っていると教えています。本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上において既に〝霊〟なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにする為の教訓を学ぶ好機であり、死後に待ち構えているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解-これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられ過ぎております」
 「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持で述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶を濁しています。教師として卑怯な態度だと思うのです」
 「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師自らがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待出来ないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理の種を植えることの出来る指導者にまず私達が働きかけることによって成就されることです」
 「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、
 「宇宙の創造自体がそう短い時間で終わったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられていることでしょう」
 「私達も少しは進歩していると思うのですが・・・」と教師が言うと、
 「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳(とばり)が上がり、明るさが増していくのが見えます」
 「スワッハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」
 「真理というものは一人一人が納得することによって広がって行くものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。又それは〝知的探求〟によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせることによって人の心を捉える-それしかありません」

 その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことが分かりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。
 「お聞きしたいのは、私が直ぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」
 「私から見れば、あなたが心に画いておられる程事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま-そっくりそのままです。私から見たあなたは、困難を克服し、普通の人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処して来られた方とお見受けします。確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強過ぎたことがあったことは事実のようです。あなたが仰るのはそのことですか」
 「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏ん張る拠り所が出来ました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」
 「逃げ腰になると仰ったのはそのことですか」
 「そうです。そう思われませんか」
 「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他の全ての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させる為の手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。
 いかなる人間にも必ず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。
 あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担ぎ通してみせるぞ。これは自分の荷物なのだから〟という気持になれば軽く感じられるものです。それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです」

 「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」
 「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣き所なのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」
 すると別の出席者がこう弁明した。「私達人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。あなたから見れば私達は立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私達自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目に付くのです」
 「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分を惨めに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。
 人間は困難の最中にある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。又、これでよかったかという動機付けについても、穏やかな精神状態の時程の明確な自信がもてないものです。興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は全体像が掴めないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」
 「人間が自由意志が行使出来るといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、
 「仰る通りです。でも私はいつもこう申し上げております-自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」
 「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」
 「そういうことです。結局初めの問題に戻って来たわけです」
 「そが私の悩みの種なのです」
 「人生は螺旋階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合鍵があるのです。が、必ずしもその合鍵が手に入るとは限りません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探求心といったものが要請されるわけです。それが私共の世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」
 すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、
 「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」
 そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、
 「その通りです。所謂〝良心の声〟に従える程冷静になれば分かります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は必ず自分で得ることが出来ます、と申し上げるのです」
 「私もそう思います」と未亡人が相槌を打つと、シルバーバーチは続けて、
 「でも、それは容易に出来ることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんの僅かの間でもよろしい。〝この世〟から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身に付ければ、そんな遠くまで〝旅行〟しなくても出来るものです」
 「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、
 「無論、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。最も望ましいことは、最も成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。
 あなたに申し上げます。迷わず前進しなさい。これまでのあなたの人生で今日程魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を沈めさせるのです。全ては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人は僅かしかいません。あなたはその数少ないお一人です。私にはあなたの気持がよく理解出来ます。
 私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみ付き通すのです。
 神は、あなたの方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」