『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 霊媒を介して起きる心霊現象はスピリチュアリズムにとって掛け替えのない価値をもっている。いわばスピリチュアリズムの基盤であり、スピリチュアリズムの全てはそこから生まれていると言ってよい。そして私の考えでは、それは真面目に追求すれば誰にでも確認出来る証明可能な基盤なのである。
 証明可能といっても、科学的実験のように一定の条件下で繰り返し追試が出来るという意味ではない。霊媒という人間を使用する以上、それはまず不可能である。何事にせよ人間を取り扱う分野においては、その人間的要素が気まぐれであるだけに、混み入った計算を妨げる傾向がある。
 にもかかわらず、私がこれまでやってきたように、霊媒現象を通じて死後の存在を証明するに足る通信-所謂霊界通信-を受け取ることは可能なのである。
 超能力とはつまり霊的感受性のことである。五感では捉えられない波動とか放射線とか周波をキャッチする能力のことである。五官も確かに素晴らしい器官ではあるが、その能力には限界がある。目はある一定範囲の波長をもつ色しか見えないし、耳もある限られた範囲の周波数の音しか聞こえないように出来ている。赤外線から紫外線に至る無数の波長の中には、あまりに短すぎて人間の目に留まらないものもあれば、あまりに長過ぎて却って見えないものもある。音も、あまり高過ぎても低過ぎても人間の耳に聞こえないのである。
 そうした普通の状態では五官に掴まらない光や音をキャッチする為に人間は色んな道具を拵えてきた。天体望遠鏡は人間の目に見えない天空の偉容を見せてくれるし、顕微鏡は極微の生物の存在を教えてくれる。レーダー、X線、ラジオ、テレビ、こうしたものは皆普通の目や耳ではキャッチ出来ない周波を人間に代わってキャッチしてくれるわけである。
 言ってみれば霊媒は、さしずめ人間ラジオ又は人間テレビである。普通の人間には見ることも聞くことも出来ない世界の周波を捉えてくれる。もっとも、ラジオやテレビが万能でないように、霊媒にもそれぞれの能力に限界がある。ただテレビやラジオと違うところは、修養と訓練によってその感度を鋭くすることが出来るという点であろう。
 では霊視能力に映じるもの、或いは霊聴能力に聞こえるものは一体何だろうか。実は死ぬということは物的振動の世界から霊的振動の世界に移行すること、つまり振動の波長が変わるだけである。言ってみれば(事故死や殺人といった不自然なケースは別として)普通の自然死の場合は、寒い冬が終わって古いオーバーを脱ぎ捨てるように、老化した肉体を捨てるだけである。肉体から脱げ出ると、今度は、地上生活中肉体と共に成長していた霊的身体を使って自己を表現するようになる。容姿はほぼ肉体と似ている。違うのは病気や障害や老化現象が無いということである。霊視能力者や霊聴能力者は地上にありながら霊的身体を使っていることになる。
 従って死ぬということはどこか別の宇宙へ連れて行かれることではない。地理的移動ではないのである。生命が一つであるように宇宙も一つである。ただ波動の原理によって無数の表現がある。それが渾然一体となっているのである。実際その意味では死後の世界とか霊界とかの言い方は間違っている。我々人間はいながらにして霊界にいる。飛行機で空高く上昇したからといって霊界に近付くわけでもなく、潜水艇で海底深く潜ったからといって霊界から遠ざかるわけでもない。
 逆の言い方をすれば、死者-この用語自体が事実と矛盾する陰気な用語だが-は今もって我々と同じ世界にいるのである。イヤ霊界通信で彼等の言い分を聞いてみると、死者というべきは寧ろ我々人間の方で、死後の世界の人間の方が真の意味で生きているという。我々が彼等の存在に気付かないのは、我々がまだ霊的身体の目や耳が使えないからに過ぎない。肉体を捨て去った彼等は、最早五官を通じて我々と通信することが出来ない。目に見えないものや耳に聞こえないものは望遠鏡や電話等を使用するように、霊界からの通信は霊媒という道具を使わなくてはならないのである。
 目の不自由な人には夕日の美しさは見えない。耳の不自由な人には小鳥のさえずりは聞こえない。だからといって美しい夕日が無いわけではない。小鳥のさえずりが無いのではない。正常な目と耳をもった人にはちゃんとその美しさを楽しむことが出来る。
 霊媒はその普通の人間に見えない波長、聞こえない波長に自分の波長を合わせて、それを我々に伝えてくれるのである。見るといい聞くといっても、普段の目や耳を使うわけではない。そのプロセスは客観的ではなく主観的なものだからである。もっとも、霊界の波長との調和が完璧で、感度が最高の時は、あたかも客観的に見聞きしているかの如くに感じられる。
 私が霊能者から聞いたところによると、あたかも自分の内部にラジオやテレビがあるみたいだという。霊視家は目を閉じていても見えるし、霊聴者が音声を聴いている筈はない。なぜなら霊界からの通信者が〝声〟を出す筈がないからである。
 そうした霊能は、実は人間の全てが例外なく所有しており、死んで霊界へ行くと普通に使用するようになる。結局地上では人によってその能力が居眠りをしたままか、目を覚ますかの違いがあるわけで、目を覚ます直前の人は練習によってそれを開発出来る可能性があることになる。その意味では超能力というのは生まれつきのものであり、霊能者とか霊媒とか言われている人は始めからそのように生まれついているのである。後は本人の努力によって開発し磨いて行かねばならない。
 文明発生以前の、まだ人間が自然と一体の生活をしていた頃は、霊能が今より遙かに頻繁に使用されていたのであるが、幸か不幸か、文明の発達と共に人工的要素が生活を支配するようになり、複雑化し、それが霊能を窒息させる結果となってしまった。
 霊媒が交霊会で見せる能力ばかりが心霊能力ではない。テレパシーなどがその一番よい例である。有能な占い師なども一種の霊能者である。直感、虫の知らせ、予感、こうしたものも私の考えでは心霊能力の働きだと思う。なぜならそうした前兆を感じた時点において、その後実際に起きた事件を予測することは、普通の人間の能力では不可能なことばかりだからである。時間と空間の要素が完全に無視されているのである。
 霊媒能力というのはそうした心霊能力が進化の道程の先輩達、すなわち高級な指導霊(スピリットガイド)の協力を得て演出される場合のことである。
 霊媒能力によって発生する現象は大きく分けると二種類ある。精神的現象と物理的現象である。もっとも、両者が入り混じっている場合もある。精神的なものとしては霊視、霊聴、入神現象(トランス)(半意識状態から無意識状態まで)、それから自動書記現象。最高の状態では筆記するスピリットの生前の個性や癖がそのまま出る。
 入神中の霊媒の発声器官を使用して喋るのは主として指導霊である。稀な例としてはエクトプラズム(後出)という物質で発生器官を拵えて喋る場合があり、この場合は声が違って来る(これは物理現象となる)。入神状態が最高の域に達すると、指導霊以外のスピリットも喋ることが出来る。
 物理現象は種類が多い。右の人工の発生器官で喋る場合を直接談話現象というが、この場合は、喋る霊魂の生前の声とそっくりになる。個々の霊のイントネーションの違いまではっきりと聞き分けが出来る程である。
 心霊写真というのはスピリットの生前の容姿が写る現象である。実に鮮明に写っている場合があるが、それと比較してみる生前の写真が残されていない場合があるのが残念である。
 物理現象の圧巻は何といっても物質化現象で、スピリットが生前そのままの容姿を物質化して出現する。驚異としか言いようのない再生ぶりである。
 こうした物理現象にはエクトプラズムという物質が使われる。その原料は目に見えない半物質体で、霊媒の体内にあるのを霊界の技師が抽出して使用する。
 エクトプラズム Ectoplasm という用語はギリシャ語のエクトス ectos (抽出された)と plasma (物質)の合成語で、フランスのノーベル賞生理学者シャルル・リシェ教授が多くの霊媒を実験観察した結果命名したものである。又ドイツ人の医師で精神医学の専門家だったノッチング男爵も三十五年間に亘って心霊実験を重ね、その間時折エクトプラズムの一部を切り取って顕微鏡を使った科学分析を行った。その結果を次の如く報告している。
 「無色、やや雲模様、液状(粘り気あり)、無臭。細胞と唾液の痕跡あり。沈殿物やや白。反応弱アルカリ性」
 更に「顕微鏡検査」の項目には-
 「皮膚の円盤状組織多数。唾液状物質数片。粘液状の粒状組織多数。肉組織の微片多数。〝チオシアン酸(注3)〟カリの痕跡あり。乾燥重量一リットルにつき8.60グラム。無機質三グラム」
 意念の働きにさえも反応を示す程の柔軟性を具えているので、それを材料として人体そっくりのものを〝製造〟することが出来るわけである。物質化現象とエクトプラズムの関係は生物と原形質(プロトプラズム)の関係とよく似ている。本来は半物質体であるが、霊界の技術者が何等かの物質を化合させて人体と同じ物質を拵える。出来上った物質体は、心臓は鼓動するし脈拍もあるし体温もあり、手には堅い感触がある。我々と同じように呼吸し、歩き、お喋りをする。爪の先まで完全に人間になり切っている。
 主役は無論霊媒である。目にこそ見えないが、霊媒と物質化霊とは赤ん坊のヘソの緒のようなもので繋がっている。この現象が奇跡的と言われる所以は、赤ん坊が胎内で九ヶ月もかかるものが実験室では僅か数分で出来上がるからである。しかも、例えば六十歳で他界した人がその時の容姿のままで出て来るのである。
 心霊能力その中でも特に目立った仕事をしているのが心霊治療である。この場合はその能力をもつ人間が通路となって霊界の治癒エネルギーが患者へ流れ込み、医学で〝不治〟とされている病を奇跡的に治していく。そこに人間を超えた力を具えた目に見えぬ存在の証しが見られるわけである。従って心霊治療家にとっての努力の目標は、自分を通じて出来るだけ高級な治癒エネルギーが流れるようになることで、これは不断の治療活動の中で成就されていく。
 心霊治療は磁気治療とは異なる。磁気治療の場合は治療家自身の体に宿る生命力を患者に与えるのであって、いわばバッテリーに充電するようなものである。心霊治療は又信仰治療とも違う。この場合はある特定の宗教の教説を信じることが治癒を促進するという観念を患者に与えるのである。
 無論心霊治療においても患者の側の信念や信頼感が治療効果を促進することは有り得ることであるが、心霊治療を全く信用しない人間が見事に治った例を私は幾つも知っている。更に、まだ信仰心の芽生えていない幼い子供も直っている。更に驚くべきことは遠く離れた所にいる患者でも治せることで、海や大陸を隔てた場所でも奇跡的な治癒が起きている。これを遠隔治療というが、面白いことに、自分の為に治療が申し込まれていることを患者自身が知らないでも見事に治ったという例が何百例と報告されている。これなどは患者の側の信仰心の入る余地は微塵もない。
 各地の教会で行われている治療活動の中にも、患者に手を当てがって祈祷をする方法があるが、これも一種の心霊治療には違いなく、その牧師は自分で気付かずに心霊能力を発揮していることがある。治癒エネルギーが出て来る源はたった一つなので、これも心霊治療の範疇に入ることは入るが、スピリチュアリズムでいう純粋の心霊治療とは少し違う。
 純粋の心霊治療というのは心霊能力を具えた治療家がその背後霊と意識的に協力しながら治療を進める点に特徴がある。秀れた心霊治療家は例外なく背後霊の存在を証明する証拠を十分手にしている。その背後霊の中には地上で医者をしていて死後もそうやって治療活動を続けているといったケースが多い。
 心霊治療による治病成果には正に目を見張るものが有り、医者の中にも奇跡的としてその偉力を認める人がいる。しかし奇跡といっても決して自然法則がストップしたり無視されたりしているわけではない。私のいう超常現象-通常の概念を超えた現象-の一種であり、生命力と同種の霊的エネルギーの作用であり、それが医学的に〝不治〟とされている病気を治しているのである。
 心霊治療は病気の原因に直接踏み込んでいくもので、病気そのもの、つまり症状を取り除くのが目的ではない。最近では病気の大半が精神的ないし神経的なものに起因していることが認識されつつある。これを心身症と呼んでいる。典型的な例では心配が潰瘍を生み、精神的ショックで心臓発作を起こす。精神と身体と霊との相関関係は実に密接で、常に影響し合っている。
 現代医学の医師の中にも、恐怖心、貪欲、妬み、挫折等が多くの病気を惹き起こしていることをはっきりと認める人がいる。薬ではどうしようもない。心霊治療はこうした心身症的病気には特に偉力を発揮するのである。
 心霊治療家は大抵霊視能力を具えているから診断が適確で、直接病原を突き止めることが出来る。霊視能力が一種のX線のような働きをすることがあり、又時には人体から放射している卵形の放射体、所謂オーラを見る場合もある。オーラには心の秘密が色彩となって正直に表れており、治療家はそこから病気の真因を発見する。
 このオーラを本格的に研究したのは英国のキルナー博士で、その研究結果が『人間の大気』という著書に纏められている。1912年の初版にはダイシャニン溶液を塗ったスクリーン(二枚のガラスの間にコールタール塗料の溶液を入れて密封したもの)が添付してあり、これを使えば普通の人間にもオーラを見ることが出来た。原料は元々ドイツから取り寄せたものだが、その後長い間入手困難となり、それに代わるものも満足のいくものが発見されずにいたが、最近漸くダイシャニンが手に入るようになり、実験が再び可能になった。
 オーラの色彩はその人の感情と気質と性格を表す。黄色は知性と叡智、赤は怒り、オレンジは野心、青は献身的精神、紫は霊性、灰色は恐怖心、暗緑色は嫉妬心をそれぞれ暗示している。もしオーラが縮み上がるような様子をしている時は死期が近付いていることの証拠である。私はこれまで霊視家によるオーラの観察結果をチェックすることがしばしばあったが、非常に正確であった。
 以上、私は心霊現象について述べてきたが、要するに私が強調したいのは、心霊現象を合理的に説明出来るのは霊魂説しかないということである。勿論、ある一つの現象だけを取り上げて、それを霊魂とか地上に存在しないエネルギーの介入を仮定せずに説明することが可能な場合もあろう。例えば霊視現象をテレパシーとか自己暗示のせいにしようと思えば出来ないことはない。
 が私の三千回を超える交霊実験会での観察結果から判断すると、心霊現象には一つの型(パターン)がある。そのパターンを細かく検討していくと、どうしてもこの地上に存在しない別の知的存在が働いていると結論せざるを得ないのである。無論私なりにありとあらゆるテストをしてみた(それについては後章で述べる)。又霊魂説以外の説明方法も試みてみた。が結局は霊界の知的存在(スピリット)によって演出されているという結論を出さざるを得なかった。それが全ての心霊現象を合理的に説く唯一の鍵だということである。

 (注3)-sulphozyansaurem 学術的には存在は認められていないが、生物学の専門家によると、そうした物質の人体内の存在は〝理論的には可能〟ということであった。
       
       
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