『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 フランク・リーア氏のスタジオでは毎日のように死者がポーズを取っている。既に三十年もの間リーア氏は霊視能力と画才を駆使して何千人ものスピリットの肖像画を描いて来たのである。中には子供の霊もいる。ごく僅かな例を除いて、殆ど全部が親戚や友人によって当人に間違いないことが確認されており、いつまでも保存のきく貴重な死後存続の証拠となっている。
 死者を描く時はなぜかその人間の死際のいわば地上最後の雰囲気が再現され、リーア氏も否応なしにその中に巻き込まれる。その意味でリーア氏自身、自分が画いた肖像画の枚数分だけ死を体験したことになる。
 リーア氏には生まれつき霊視能力があった。生まれつきの霊能者が皆そうであるように、氏も子供の頃は他人に見えないものが自分にだけ見えることで子供心を痛めた。始めの内は誰だか分からずに戸惑い、やがてどうやら死んだ人達らしいと感じ始めた。
 成人してからはジャーナリストと漫画家を暫く続けたが、その内その画才と霊視能力とを結合させることを思いついた。そして始めの頃はスピリチュアリストの協会などを通じて予約をとった人だけを匿名で招いた。
 今では電話で申し込みを受け付ける。早い時は直ぐにその依頼者の肉親の人とか友人とかの顔が見え、そのスケッチに入る。勿論依頼者とは一面識もない。が、描きながらスピリットに関する情報を次々と述べていく。そうやって、依頼者が訪ねて来るまでには既に確認の材料が十分揃っていることがしばしばある。
 それから依頼者が来る。多くの場合、来た時は既にスケッチが出来上がっているが、それからスピリットを見ながら色調に筆を入れ、立派な肖像を描き上げる。大抵の場合、比較の為の写真を持参してもらう。
 依頼の電話が前もって分かる時もある。目の前にスピリットの顔が現れて目を覚まし、霊聴でそのスピリットと会話を交わし、生前の名前や地上に戻って来た理由等の情報を得る、ということがある。
 この種の仕事で困ることは、そのスピリットの死の床の痛みや苦しみといった、地上生活最後の状態を霊能者自身も体験させられるということである。なぜかは十分に解明されていないが、多分ある磁力の作用によると思われるが、スピリットが始めて地上に戻って来た時は地上を去った時の最後の状態が再現されるのである。
 時には自分の身元を証明する為に十年前とか二十年前、三十年前、或いは四十年も前の大きな出来事を再現してみせることもある。実に細かいことまで再現される。ある女性霊の場合などは、ビクトリア女王の前に参列した時のドレスを着て出て来た。リーア氏の目には参列者でぎっしり詰まった王宮の全光景が映ったという。
 リーア氏の目に映る霊姿は、他の霊能者の場合と同様、少しも気味の悪さとか幽霊のような感じはないという。幻のようにぼんやりと透けて見えることもなく、幽霊話に出て来る霊とはおよそ似てなくて、しっかりした実体が感じられ、寧ろ地上の人間より生き生きとして生命力が感じられるという。リーア氏はポーズを取ってくれているスピリットの回りを、丁度画家がモデルの回りを歩くように歩き回るのである。歩き回りながら形やプロポーション、その他の特徴をノートに取っていく。
 強烈な個性の持ち主の場合は、その個性を一時的に表情に表してもらい、それを知る人が直ぐにそれと分かるように肖像画に表現する。顔のシワの一本一本、目や髪の色は勿論のこと、ホクロだとか歯の欠けた所など、証拠になる特徴を細かく見てとることが出来る。一方、スピリットの方も自分を早く確認してもらう為の材料として、自分の身の上話をしたり、変わった呼び名、住んでいた町や国の名、職業等についての情報を提供する。
 そうした作業をリーア氏は別に入神状態でやるわけではない。至って普通の状態である。異常な特徴といえば、肖像画を仕上げるその速さである。僅か九秒で完全な肖像画を仕上げたこともある。正常なスピリットの場合三十秒というのはザラで、平均しても三分から五分である。大きさはいつも等身大で、スタジオの中はデーライト(昼光)である。
 リーア氏はスケッチから油絵を描くことがある。その色の使い方、特に目の表情などは明らかに霊視能で実物を見ていることが分かる。行ったこともない外国の地図を描いたものも多い。家々の並び具合や環境の様子が実に細かく描き込まれている。又、あまり数は多くないが、スピリットの胸像を掘ったこともある。これにも霊視家としての適確な能力がよく出ている。
 氏の仕事がスピリットの協力を得ないと出来ない仕事であることを依頼者に分かってもらうのに苦労することがある。ある富豪の未亡人が、亡くなったとご主人の肖像画を油絵で描いて欲しいといって六百ギニーを出した。リーア氏としては有り難い話なのだが、肝心のご主人か出たがらないのである。出てリーア氏と話をするのはいいが肖像画はご免だという。スピリットにはこちらから一方的に命令するわけにはいかないのである。
 出現するスピリットは国際色豊かである。ペルシャ人が出たこともある。ペルシャ語で名を名乗り、マホメットの信者であることを示す為にメッカの話を持ち出した。更にバグダッドの近くにあるキュベレという町の名を言い、自分の遺体がそこに埋葬されていると言う。普段の容姿を見せた後に、今度は死ぬ直前の病床での容貌を再現して見せた。頭には氷のうが置かれていたと言った。
 私の勧めで、ある夫婦が、六つで他界した女の子の肖像を描いてもらって大変な慰めを得たことがある。その子は血液のガンと言われる白血病で死んだシャーリー・ウッズという子で、その子を失った両親の悲しみといったらなかった。私は気の毒に思ってウッズ夫人に匿名でリーア氏に電話でお願いしてみるよう薦めた。
 電話を受けたリーア氏は夫人の要請を聞く前に「お子さんの肖像画ですね」と言った。そしてシャーリーちゃんの性格、要望、髪、肌色を言い当てた。リーア氏が全部言い終わらない内からウッズ夫人は、リーア氏が紛れもなく我が子を見ていると確信していた。
 後でスタジオを訪ねて、そこに描かれているシャーリーちゃんの肖像画を見て夫人は、そのそっくりさに言いようのない程喜ばれた。これには比べる写真はなかった。というのは六歳の時の写真が撮ってなかったのである。これは例外的なケースに属する。
 ウッズ夫人は早速電話でご主人にも来るように言った。やがてやって来たご主人もその出来栄えに目を見張った。リーア氏は二人の前でもう一枚の肖像画を描いてみせた。その二枚目には更に細かいシャーリーちゃんの特徴が加えられていた。両方とも格子模様のドレスを着ていたが、後で夫人からその実物を見せて頂いた。
 こうしたリーア氏の肖像画は本にまでなって出版されている。肖像画と一緒に比較の為の写真も添えられている。氏の人気の程を物語っているといえよう。
 これ程まで死者と交わっているリーア氏なのだか、その太い笑い声には愛嬌が感じられる。本人に言わせると、本当は修道僧の生活を送りたかったそうである。もっとも今の仕事が必要とする孤独の状態は修道僧のそれに一番近いのではないだろうか。霊能に駆り立てられ、悲しみの人に慰めを与えるその使命が、瞑想の生活を不可能にしているのだが・・・・
 仕事で使い果たす霊的エネルギーを補給する為にリーア氏は時折人気のない河口などに〝隠棲〟して、心ゆくまで描きたいものを描く。そしてすっかり気分を一心すると再びロンドンに戻って来る。そして依頼の電話を待つ。
 その電話は氏にとっては死という深い淵にかける愛の掛け橋なのだ。