『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より

 心霊治療の心霊治療たる所以は、ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった〝不治の病〟が完治し、しかも二度と再発しないということでなければならない。
 ロンドンのペギー・パリッシュ夫人は六ヶ月の余命と診断された癌が心霊治療で全治して以来はや三十年近くなるが、検査をしても癌の兆候は一切ない。こうしたケースは何千何万と数えることが出来る。
 パリッシュ夫人は心霊治療で全治する前に一度手術を受けていた。その後の検査の結果悪性腫瘍の度が進んでいるので再手術の必要を言い渡され、その準備の為に自宅に帰って来た。
 ご主人は、まだスピリチュアリズムに関心のなかった頃に一度ある霊媒から、あなたには治病能力がありますと言われ、奥さんを治せますとまで言われていた。そう言われてみると、入院中の奥さんを見舞う度に「あなたが側にいるとラクになります」と奥さんが言っていた。がパリッシュ氏はそれを気にせいだと考えていた。
 が再手術をする為に奥さんが戻って来たのを機会に、氏はその霊媒の所へ行って、どうやればいいのかを聞いた。霊媒は手の当て方などを細かく指導した。帰って実際にやってみると、これが実によく効いて再手術の必要がなくなった。以来三十年、手術を受けていない。
 この奇跡的な出来事に目を覚まされたパリッシュ氏は、それまでの儲かる仕事を捨てて、生涯を心霊治療に捧げることになる。今は既にこの世の人ではないが、功績を記念して建てられた治療所でその奇跡の生き証人である奥さんが治療の仕事を続けておられる。
 数ある霊的な仕事の中でも心霊治療が一番人に恩恵を与える仕事と言える。心霊治療家も一種の霊媒であって、その霊媒を一つの通路として霊界の治療家が霊的な治癒エネルギーを患者に送り込むのである。
 これを霊癒といったり心霊治療といったり信仰治療と呼んだり、時には神癒などと呼ばれたりしているが、その治癒エネルギーの元は一つである。私はその他の治療法をけなすつもりは毛頭ない。神の力を受ける方法は無限にある筈で、その無限のエネルギーを一人占めに出来る人間は一人もいない。まして特定の場所にだけ集中させるよう神に命ずることなど出来るわけがないのである。
 心霊治療がいかなる形式をとるにせよ、霊媒という道具がその治癒エネルギーを受け入れられるよう波長を調節することが肝心な点である。霊媒現象というのは霊媒と背後霊との協同作業なのである。心霊治療の場合は、その背後霊もかつて地上で医学を修め、死後更に勉強して地上に戻って来たという人が少なくない。
 心霊治療の基本理念は症状を取り除くのではなく、その根本的原因を取り除くことにある。現代医学も病気の大半が精神的なものに起因しているという認識に到達している。単純な例を挙げれば、心の悩みが潰瘍を惹き起こす。緊張、恐怖心、挫折感、怒り、妬み、憎しみ-こうしたものが身体に影響を及ぼす。こうした心身的病気に対して単にその身体的症状を取り除くだけでは永続的効果は期待出来ない。例えば潰瘍を切り取っても患者の心の悩みが続けば再び別の潰瘍が出来る。
 心霊治療家を通じて注入される霊的エネルギーは二つの方法で作用する。一つは身体がもっている自然治癒力を刺激する場合、もう一つは生命力と同質のものを運び込んで病気の根本原因を取り除いてしまう場合である。人間の身体には自分で治癒する機能が具わっている。ところが右に挙げたような精神的原因がいつまでも続くと、その内部の自然治癒機能が邪魔されて働かなくなる。
 心霊治療家がよく信仰治療家と呼ばれることがある。ハリー・エドワーズもその一人であるが、これは間違っている。治療家を信頼する心が治療効果を助けることは確かだが、毎日平均二十通もの治療依頼の手紙が届いているエドワーズ氏の場合、その大半に遠隔治療(注17)を施している。海や大陸を隔てた外国からの依頼が多いからである。そうしてその患者の大半が自分の為に家族の者や友人などが内証で申し込んでくれていることを知らないのであるから、信仰や信念の要素の入る余地はない。ましてエドワーズ氏は何千何万もの子供を治療しているが、幼い子供には信仰心はない筈である。
 エドワーズ氏が纏めた治病効果の統計を見ると、効果があったというのが80%、完治したというのが30%である。この数字は、エドワーズ氏を頼ってくる人が散々病院を回った挙句の人ばかりであることを考慮すると驚異的と言わざるを得ない。
 この治病結果、中でも遠隔治療の成果を見ると霊界の治療団の働きを想定せざるを得ない。患者が治療家に書いた申し込みの手紙が一つの手掛かりとなって治療家との間に霊的な繋がりが出来るのである。そう考えればレーダーやラジオ、テレビなどと同じで、何等驚くに当たらないであろう。
 ラジオやテレビは今でこそ当たり前のように思われているが、そんなものを百年前に予言していたら恐らく気狂い扱いされたことであろう。今時音が部屋を横切る速度よりも光が地球を一回りする方が速いという事実を誰も疑わないのと同じように、治療家から患者へ霊的な治癒エネルギーが届くということを信じるのは、さほど困難ではない筈である。
 エドワーズ氏自身、幽体で各患者を治療して回った記憶を持っていて、患者の家や環境や部屋の配置などを述べることが出来る。又患者の方でもエドワーズ氏の姿や、一緒に治療に当たっている複数のスピリットを見かけたという人が大勢いる。
 氏に言わせると、心霊治療は治病能力もさることながら、慈愛と人類愛と、何とかして救ってあげたいという気持がなければならないという。全ての治療家がそうなのだが、エドワーズ氏の場合も患者の苦しみを直接的に洞察するので、自然に同情心が湧いてくるのである。
 氏は長い間辛酸と貧乏を体験した人である。結婚した頃は貧乏のどん底で、結婚指輪を買う為に借金した程である。氏は又、ビジネスに携わった頃よくトラブルを起こし、裁判所の命令書を携えた執行吏がよく訪れたらしいが、その執行吏とはその後よい友人となったという。
 治療家は又極度の忍耐力を必要とする。というのは患者というものは自分の痛みや不自由さについて、事細かに説明したがるものだからである。エドワーズ氏はこれまで何千何万という苦痛の話を聞かされて来たが、決して同情心を失わない。今自分が治療している人に全身全霊を打ち込むという姿勢が天性的に具わっているのである。
 氏は又、自分の治療所だけでなく、大きなホールでの公開治療を各地で開いている。そして何千という観客が見ている前で〝有り得ないこと〟をやってみせる。整骨やカイロプラクティック(脊柱調整療法)のような操作は一切用いない。氏はそうした療法の講習を受けていない。にも係わらず、動かなくなってしまった手足をいとも簡単に自由にしてしまう。それも全然痛みを与えずに、である。
 心霊治療を始めた頃エドワーズ氏は人体の構造やメカニズムについて一片の知識もなかった。ために患者が口にする病気や痛みの意味を医学事典で調べなくてはならない程だった。今では人体の構造と機能、そして人体を苦しめるあらゆる病については一流のエキスパートであると私は確信している。
 長年に亘る背後霊との共同作業の経験で氏は患者一人一人の病状に応じて治癒エネルギーの操作の要領を確実に心得ていて、ここという決定的瞬間を目を閉じたまま待ち受ける。その瞬間が来ると、もう、動かなかった手足が動き、曲っていた背骨が真直ぐになり、短くなっていた片方の足がもう一方と同じ長さになっている。
 それを暗示だとか病気興奮、或いは集団催眠現象のせいにする人がいる。こうしたナンセンスな説を唱える人は決まってエドワーズ氏が治療しているところを実際に見たことのない人と相場が決まっている。実際に見れば分かることだが、公開治療会では宗教的興奮もないし病的興奮もないし、感情的爆発もない。照明をわざと暗くするわけでもないし、スポットライトで演出するわけでもない。
 但し、そういう機会に治療する病気の種類は当然、見た目に効果が分かるようなものに限られる。潰瘍が消えたと言っても、それをどうやって証明出来よう。又専門の医師の立会いを歓迎し、治療の前と後にチェックして、例えば背骨の湾曲が治療後どの程度伸びたかを診断してもらって公表する。私は何等効果がなかったという報告を一度も聞いたことがない。
 さて医学界はこうした〝不治の病〟が心霊治療によって治るという事実を公式には認めていない。が自分に治せない患者をエドワーズ氏のところへ回す医師は大勢いる。自分の身内、友人、外来患者、時には本人自身が申し込むこともある。
 そうした医師が、自分に治せなかった病気が見事に治るのを見て驚いたその正直な心境を述べた手紙を、私は数多く読ませて頂いた。医師の世界のエチケットとして、その名前を公表するわけにはいかないが、その中には、高名な専門医や外科医が何人もいる。彼等の行為は実は〝危険〟を冒しての行為なのである。というのは、英国医師会はそうした行為に対して懲戒処分をとる態度を表明しているのである。実際、医師は万一そうした事実が明らかになれば、医師の登録名簿から抹消されることになっているのである。
 実は英国王室にはエドワーズ氏の治療を受けた人が六人もいるのであるが、それでもなお医学界はエドワーズという〝無登録〟の開業医を好意的に観察するに至っていない。しかし結局我が王室には最高の腕をもつ医師がついているということであるから、結構な話ではないか。
 治療に際してエドワーズ氏はその病気の原因と、どこに治癒エネルギーを施すべきかについて霊医から〝内なる診断〟を受ける。仮に足を痛めているとすれば、その原因が足そのものにあるのか、背骨のあるのか、それとも頭部にあるのか、といった点が自然に〝わかる〟のである。そして氏が手をその個所に当てると治癒エネルギーが流れ込む。力は加えない。治療が終わると〝仕事が終わった〟という幸福感を覚えるという。初めの内は霊医に全てを任せる心境になるよう努力した。というのは、果して治療が施されたのか、上手くいったのか、その辺がよく分からなかったのである。
 治療によって疲労を覚えることは滅多にないという。たとえ一時間半に亘っても疲れないし、寧ろ爽やかな気分になるという。治療中の気分を氏は〝無上の喜び〟〝無心の楽しみ〟と表現し、この世的なものからは味わえない精神的高揚を覚えるという。
 エドワーズ氏の場合、患者の病状だけで人間的即断を下すことは禁物である。ある時、完全に目の不自由な人が訪れた。見たところ眼球が完全に原形を失っている。虹彩はないし瞳孔もない。ただ、よどんだ縞模様の塊があるだけである。氏は一見して〝これは駄目だ〟と思った。ところがその時氏の身体を通って治癒エネルギーが湧いて出るのを感じた。それからホンの二、三分もすると、生まれた時から光を見たことのないその目にうっすらと明りが見え始めた。その後色彩が見えるようになり、それから三ヶ月後に列車に乗っていた時に電信柱が見えたという知らせが届いた。
 ここでエドワーズ氏に協力した医師の名前を一人だけ公表しよう。既に他界した人だから〝登録名簿から抹消〟される危険もなかろう。その人はマーガレット・ビビアンという女医で、長年ハンプシャー州のサウスボーンで私立病院を経営していた。ある時私の薦めで、ビビアン博士自身にも、そして他の医者にもどうしても治せない患者四人に遠隔治療を施して下さるようエドワーズ氏に申し込んだ。患者自身には知らせなかった。
 最初の患者は毛瘡という厄介な皮膚病で、二年近くロンドン市内の皮膚科に専門医の治療を受けたが、時折公転の兆しが見えることはあっても、顔のタダレは一向に治らず、少しずつ広がっていった。それが遠隔治療を始めた頃から徐々に回復し始め、ついに完全に治癒した。
 二人目は女性で、全身の体力が徐々に衰えて行き、どんな治療を施しても悪化する一方で、次第に歩けなくなり、遂には食事も出来なくなった。エドワーズ氏の治療を受けたのは秋も終わりの頃だったが、それから数週間は目立った変化はなかった。それからクリスマスの日になって突然好転し始め、七面鳥の大ご馳走とデザートのプラムプリンを平らげて、見ている友人を驚かせたという。その後、着実に体力を回復し、ビビアン博士が診察した時は〝上々の健康体〟であった。
 三人目は頑固な皮膚潰瘍で、それに静脈瘤が絡んで中々治らない。この患者も初めの二、三ヶ月は目立った徴候は見られなかったが、それから急速に回復した。
 最後の患者は静脈瘤を永く患っていて「両足がひどく腫れていました。ちょっと肌に触れただけで三番目の患者と同じ無痛性の潰瘍を併発する程でした」とビビアン博士は言う。それが遠隔治療によってまず腫れが引き、やがて完治した。そしてその女性患者は「十年若返った気分です」と語ったという。
 エドワーズ氏は英国国教会にも心霊治療に対する理解を求めたことがある。が国教会が氏をまともに相手にするとはまず思えない。
 氏が国教会の調査委員会から要請を受けて提出した〝不治の病〟の完全治癒例も、その委員会の報告書への掲載を禁じられた。にも関わらずエドワーズ氏を頼ってくる聖職者は実に多い。サセックス州ホープにある国教会で司祭と共に祭壇の前で合同治療を行ったこともある。会衆派教会で公開治療を催したことも一再ではない。しかもそこの牧師の中で治癒能力をもっている一人を指導し、その牧師が更に潜在的に治病能力をもっている同僚を指導している。
 元々宗教心の強いエドワーズ氏は、元来心霊治療はどこででも施せるものであるべきで、なかんずく〝病める者を癒せ〟と言ったイエス・キリストへの忠誠を誓っている教会において施すのは当然であるという認識をもっている。しかし、イヤだと言う医者や牧師と協力するわけにもいくまい。氏は医師でもなければ牧師でもない。それでいて氏は神の能力を授かった偉大なる治療家である。
 その能力を駆使して彼は〝心霊治療の奇跡〟を次々と成就している。そしてそれを決して自分のせいにしない。エドワーズ氏のことを寧ろこう言えばよかろうか。すなわち彼は〝不治〟を言い渡された人が最後の拠り所として縋る、より高級な〝神の御手〟である、と。

 (注17)-自宅や病院にいる患者に距離を隔てたまま治療する。不在治療とも言う。