こうした境涯での生活は、刑罰というよりは一種の修養ないし鍛練(トレーニング)であり、病的に歪んでいる魂にとっては〝療養〟の性格も持つであろう。が、いずれにせよ、それは死後の世界の一側面であって、全体としては死後の生活は地上生活とは比較にならない程明るく愉しいものであるらしく、それは全ての通信が一致して述べているところである。
 〝類は類をもって集まる〟で、似た性格の者、趣味の共通した者、同じ才能をもつ者が集まって生き生きとした時を過ごしており、地上に戻りたいとは、さらさら思わないという。こうした情報を大いなる喜びとして受け止めない人がいるであろうか。しかも、繰り返すが、これは単なる信仰や願望から生まれたものではないのである。一つや二つではない、実に多くの証人が、たった一つの、全く同じ事実を証言しているのである。
 その証言の内容が、もし仮に、全知全能の神の玉座にかしずいている仰々しい神話の登場人物からのものだというのであれば、それはもしかしたら、その霊媒が幼少時代に教え込まれた神学の反映かも知れないと考えられないこともないであろう。ところが、これまでにスピリチュアリズムの霊媒を通して得られた通信内容は、従来のどの宗教の信仰や教義とも異なるものばかりなのである。
 しかも、その〝通路〟となった霊媒についても、世界的に著名な学者が数多く参加して徹底した研究・調査がなされ、〝霊媒現象〟というものが間違いなく実在することが証明し尽くされているのである。しかも、その霊媒を通して得られた死後の世界の情報が基本的にピタリ一致を見ているのである。