この大戦の勃発する以前の世界情勢は酷いものだった。人間の悪魔性を覗かせた所業を世界の歴史に辿ってみても、十八世紀から十九世紀にかけて発生したものに匹敵するものが他に見出せるであろうか。
 ロシアを見るがよい。貴族界の野獣性と民主政界の退廃性、双方が行った虐殺の数々、ユダヤ人の虐待はどうだったであろうか。
 ベルギーのレオポルド二世がアフリカで行った虐殺と虐待の数々はどうだったであろうか。まさに生身の悪魔性の仕業だった。そのレオポルド王の死に際してのローマ教会の態度はどうだったか。その悪魔的行為の一つたりとも非難することなく、枢機卿からの賛辞の内に恭しく葬っている。
 南米のプートゥマイオ川(アマゾンの支流)における同様の残虐行為の酷さを思い出してみるがよい。そして、その時に取った英国の資本主義者達の態度はどうだったであろうか。暴動そのものには関与しなかったものの、見て見ぬふりをして、その裏で利益を搾取していたではないか。又、トルコにおいて頻発していた大量虐殺を思い出してみるがよい。
 世界各地における〝持てる者〟達の淫乱の生活と〝持たざる者〟達に対する獣的行為の数々、ファッション界の軽薄文化、宗教界の陰湿さと良心の麻痺ぶりはどうだったであろうか。深い、真の霊的衝動を感じる者は絶え果てていた。特にドイツにおける宗教界の組織的な唯物主義と傲慢と無慈悲さはどうだったであろうか。血の通ったキリスト教精神を連想させるもの全てが否定されていた。総じて、人類がこの時代程非人間的側面を剥き出しにしたことは、かつてなかったと言ってよい。
 強いて明るい側面を探せば、それは主として宗教とは無縁の、実生活に不可欠の分野、例えば病院や大学、市民団体による慈善事業に見出すことが出来よう。キリスト教国のヨーロッパだけでなく、仏教国の日本でも顕著に見られた現象だった。それは、個人的に見れば人類にはまだ徳性も寛容性も善性も残っていたということを物語っている。が、組織体としての教会はもぬけの殻となり、人類にとっての霊的滋養分などさらさら持ち合わせず、魂の抜けた儀式典礼の世界と化してしまい、人間一般の行為に役立つものは何一つ見い出せなくなっていた。
 私が述べていることは決して誇張ではない。これで、一体あの大戦の勃発に秘められた理由-最初に私が〝厳粛な事実〟と述べたもの-が何であったかも分かって頂けるのではなかろうか。ただのゴシップパーティに過ぎない豪華な茶会、戦争崇拝、土曜の夜の酒盛り、党利党略に終始する政治、神学的詭弁、こうしたものとの縁を切り、今こそ人類が危急存亡の重大な局面に立っていることを悟らせる為のものではなかったろうか。いい加減偽善の仮面を脱ぎ捨て、真摯なる赤心と勇気とをもって霊的真理の支持するところに従うべきであることを教えていたのではなかろうか。