スピリチュアリズムは、その霊的神髄を、かつては〝しるしと不思議〟としてイエスが顕現して見せたのを、実験室内での霊媒現象という形で見せようとしたものである。ところが、残念ながら偽物を演出して金儲けを企むペテン師によってスピリチュアリズムの名が汚され、不幸な出来事(注)によって陰湿な印象を与える結果となってしまった。苦慮した関係者の中には、丁度〝mesmerism メスメリズム〟(催眠術)が〝hypnotism ヒプノティズム〟(催眠学研究)と言い換えることによって長年の中傷から逃れることが出来たように、〝心霊的宗教〟とでも言い換えてはどうだろうと考えた程だった。
 その一方には、そんな非難中傷をものともしなかった先駆者の一群がいたことを忘れてはならない。輝かしい経歴と世界的名声に傷がつくことを恐れず、〝正気〟を疑われることさえ顧みずに、スピリチュアリズムの旗印の下に、真実は真実として堂々と公表したのだった。これを〝近代スピリチュアリズム〟と呼ぶのである。
 新しい宗教ではない。そんな単純なものではない。全人類が等しく共有出来る霊的遺産なのだ。もっとも、遺産の全部ではない。まだまだ一部に過ぎない。が、その一部が、かつて蒸気が小さなヤカンの蓋を踊らせる現象が蒸気機関の発明へと繋がったように、いずれは普遍的な人類の指導原理となっていくことであろう。つまり、最終的には一つの宗教としてではなく全宗教の基本的原理となっていくことであろう。つまり、最終的には一つの宗教としてではなく全宗教の基本的原理としての存在意義をもつに至るであろう。
 宗教ならば、もう地球上に多過ぎる程存在する。不足しているのはその普遍的原理・原則なのだ。

 (注)-〝不幸〟の意味を取りようによって、ドイルが何を念頭においていたかの推測が変わって来るが、不慮の事故としては、実験の最中には心無い出席者が勝手な手出しをして、それが霊媒への危害を及ぼすことになった事件は幾つかある。が、この後ドイルが〝陰湿な印象〟を与えたといっているところをみると、クローフォード博士の自殺を念頭に置いていたのかも知れない。
 その自殺の四日前に友人に宛てた手紙には次のように書いている。
 「このところ精神的にすっかり参っております。二、三週間前までは至って元気だったのですが・・・・心霊研究のせいではありません。これはとても楽しく続けてまいりました。いかなる批判にも耐えられる成果を得たと断言出来ることに感謝しております。ケチをつけられるところは一点もないまでに完全に実験し尽しました・・・」
 これで発作的なものだったことが推察される。