そこで、これからもっと大きな問題へと進むが、死後に迎える生活が幸せに満ちたものであるといっても、その目的とするのは、自我の内部に滞在している霊的資質を発達させることにある。行動派の人は行動で、知的才能に優れた人は知的才能で、芸術・文学・演劇・宗教その他、各々が神から授かった才能を発揮する為の仕事に勤しむのである。知的なものも性格的なものも、地上時代のものをそっくり携えて行っている。年を取った為の衰えは脳の機能の衰えであって、自我に取り入れたものはそのまま残っている。
 地上で愛し合っていた者はいずれ再会する。が、地上時代のような肉体関係はないし、従って子供の出産もない。それでいて、強烈な親和力による深い親密度を実感するという。地上で真実の愛を実感することなく終わった者も、霊の世界へ来て、遅かれ早かれ、霊的配偶者を見出すという。
 幼くして他界した子供は霊界で自然な成長をする。それ故、例えば二歳の女の子を失った母親が二十年後に他界して霊界入りした場合、二十二歳に成長した娘が迎えに来てくれるという。といって、年齢そのものに意味はない。自我の成長度が容貌に表れるのである。老人は若返るのであるから、女性は老化による美の衰えを嘆く必要はなく、男性は体が言うことをきかなくなったことや頭脳の衰えを嘆く必要はないわけである。あちらへ行けば、失ったものが全て取り戻せるのである。