自殺ダメ




 [コナン・ドイルの心霊学]コナン・ドイル著 近藤千雄訳より

 P212より抜粋

 が、他方、科学的態度で冷静に対処しながらも、信仰的には既成宗教の偏見が作用して、もしもこれを真実と認めれば神学上の大論争の種になりかねないとの、一応無理ならぬ危惧から、全面的に受け入れることに躊躇し、結論として、多分交霊会の出席者の想念の反映か、テレパシーであろうと主張する人がいる。例えばツェルナー教授は熱心な心霊研究家でありながら、次のような理論を展開して事足れりとしている。

 《科学は霊界通信の内容にまでは手をつけることは出来ない。観察された事実と、それらを論理的かつ数学的に結び付ける理論によって手引きされるべきものである》

 偉大な科学者で心霊現象を支持している人の中には、霊界通信の中で信仰問題に関わることになると沈黙を守っている人が多いという事実は、このツェルナー教授の主張を裏書きしているように思える。
 確かに理解出来ることではある。が、よくよく分析してみると、これは一種の唯物思想を拡大したものにすぎないのではなかろうか。スピリットの存在を認め、それが地上へ戻って来ることも事実であると認めながら、そのスピリットが届けてくれるメッセージには耳を塞ぐというのでは、最早〝用心〟を通り越して〝理不尽〟の域に達しているというべきである。そこまで到達していながら、そこから先へは進まないというのでは、不変の真理に到達することは永久に不可能である。
 例えばレーモンドは地上の自分の家庭のことについて、実に細かい点にまで言及したことを述べていて、それが驚く程正確であることが確認されているが、そのレーモンドがその時点で生活しているという霊界の住処について語っていることは〝信じられない〟として削除するというのは理不尽ではなかろうか。
 私自身も初めて死後の世界に関する通信を受け取った時は、そのあまりの奇怪さと途方もなさに、とても信じることが出来ずに、どこかにうっちゃっておいた。その後色んな人を通して入手した通信と比較してみて、私が入手したものもそれらと相通じるものであることを知った。
 H・ウェールズという私の全く面識のない人の場合も同じである。この人も自動書記で受け取った通信の内容を読んでみてバカバカしくなり、暫く引き出しの中に仕舞い込んでおいた。ところが、ある時死後の事情を纏めた私の記事を読んで、あまりに似ているのを知って私に手紙を寄越したのだった。いずれの場合もテレパシー説や霊媒が予め知っていたとする説は不可能である。
 総じて疑り深い学者や、とかく異議を唱えたがる学者というのは、既に大切な分野を持っている為に、関心の対象を物的なものにのみ制限し、死後の世界の実相を伝える莫大な量の証拠の重大さを認識しようとしないものだ。あくまでも物証を求める態度を固持して、当事者が直感する真実性の証言には耳を貸そうとしない。
 次章では、こうした霊的知識に照らした上での新約聖書の検証にお付き合い頂いて、これまで曖昧で混乱していた点についてどこまで明快で合理的な解釈が出来るかを、読者自ら判断して頂きたい。


 ツェルナー博士 Johann Zollner (1834~1882)
 ライプチッヒ大学の物理学と天文学の教授で、〝ツェルナー現象〟で世界的な名声を博していたが、心霊現象の研究に着手したことで非難と嘲笑と迫害を受けた。しかし同時に、研究に使用した霊媒の質の低さの為に、天文学の知友であるスキャパレリやフラマリオン達からも、その説に疑問が投げかけられた。その反省から晩年には当時の最高の霊媒だったデスペランス夫人を使って二十五回もの実験を行い、その成果に満足し、書物にして発表しようとした矢先に他界した。