オリオトソンと名乗る霊に代わる。
 「(入神状態において宇宙の記憶層から)無意識の内に回想するなどということは不可能なことです。無意識的回想説は笑止千万というべきです。全ての鍵は背後霊の働きにあります。又アイデンティティ(地上時代と同じ人物像)が不変であるかに考えるのも間違いです。私の知る限り高級霊程アイデンティティを殆ど失っております。進化していく中に個性が拡張し放散して、一種の影響力の中枢のような存在となるのです。この霊媒の守護に当たっておられるインペレーター霊はこの上なく高貴なるお方で、私をその影響力下に包み込んでおられます。が、私にはそのお姿は見えないのです。しかも私が存在する空間に充満しておられます。命令と指示を受けておりますが、一度もお姿を拝したことがないのです。この霊媒には顕現の形で見えることがあります。その必要性があってのことで、私にはその必要性はありません。
 私にとっては、こうして地上へ戻って来ることは一種の試練です。例えてみれば、清らかで陽光溢れる大気の世界から濃霧の立ち込める谷底へ下りて行くのにも似ていましょう。地上の雰囲気の中に入ると私はすっかり変わってしまうようです。かつての地上時代の思考の習性が蘇って来ますし、当時より鈍重な空気を呼吸するような感じがします」
 「私達はあなた方人間に神そのものが影響力の大中心であること、その影響力は中間的存在である霊を通じて人類へと行き渡ることをお教えしたいのです。その霊的存在-あなた方が天使と呼んでおられる存在です-が人類に影響を行使しているのです。光の大中心を取り巻いて存在する大天使が、それを更に取り巻いて存在する天使に影響力を放散する-つまりそうした天使的存在を通路として最高神の霊力が、受け入れる能力のある者全てに届けられるという仕組みをお教えしたいのです。
 人間は無意識の内に知識を受け取りそれを広める通路となっているのです。与えられた才能を開発し、与えられた仕事を助成することによって、人間界における神の霊の住処を開発していくことが出来るのです。神のお力は高き界層に発し、天使を通して降下し、選ばれた使者に染み通り、いかにすれば人間が神の協力者たりうるかを示します」

 インペレーターに代わる。
 「かつては〝天使〟と呼ばれ今日では〝霊〟と呼ばれている存在が人間と神との間を取りもち、神の恩恵を地上へ送り届けると同時に、人間の祈りを神の玉座へ送り届けることも致します。それが神と人間とを取り持つ手段であり、影響力の通路なのです。物質に宿る霊(人間)の回りは常に天使の支配があると思われるがよろしい」

 (注)-ここでエリオトソンとインペレーターが述べていることは、私が〝まえがき〟で述べたこととも関連して、霊能者をもって任じている人達に猛省を促したいところである。
 宇宙意識とか記憶の層から望み通りの知識や情報が得られることは理屈の上でのみ言えることであって、実際にそれが出来る人は地上の人間にはまずいない。シルバーバーチは自分の過去世を知ることすら地上の人間には困難だと言っている。
 この種の問題ではエドガー・ケーシーの名を思い浮かべる方が多いことであろう。この人は宇宙意識が語るのを入神状態で取り次ぐのだそうであるが、実際はエリオトソンが言っている通り、それも全て背後霊団がやっていることである。
 ラジオのダイヤルを回すと次から次に色んな放送が入って来るが、宇宙にはそれとは比較にならない、無数といってよい程の意識や観念が飛び交っている。高級霊からのものもあるが、それを妨害したり、それらしく装って実は偽の情報を流している低級霊の集団からのものもある。困ったことには、そうした低級霊の波長の方が人間には感応し易いのである。そこに予言のハズレや霊言のいい加減さが生じる原因がある。
 心霊治療の場合は治る治らないの形で結果が明確に出るからよいが、霊言、霊示、お告げの類は、本当か否かを判断する手掛かりは何一つない。たとえ間違いなく〝霊〟からのものであっても、今度はこの霊の程度と質が問題となる。それを試す方法は二つある。
 一つは徹底的に疑ってかかることである。唯々諾々として何でも有り難がるのが一番危険である。疑われて機嫌を損ねるような霊は相手にしない方がよい。
 もう一つは、その内容から判断して、それが〝霊〟から承らねばならない程のものかどうか、或いは、そんなことを知ってどうするのかということを常識的に検討してみることである。その尺度でいけば、最近マスコミを通じて霊言だ、予言だといって宣言されているものに、どうでもいい、好い加減なものがいかに多いかがお分かり頂けるであろう。

スピーア博士がキリスト教の教義について質したのに対してインペレーターが-
 「キリスト教の説く教義には多くの誤りが見受けられます。神についての見解はそれを受け取った霊媒の先入観念によってとかく着色されているものです。人間の勝手な考えによって教説を拵え、それがドグマとして定着し、絶対的教義として教え込まれています。創造神と人間との繋がり、及び罪についてのキリスト教の説は間違っております。
 罪とは、本質的には、霊性を高めるべく意図された永遠不変の摂理に意識的に違反することです。神が人間の罪をご自身への侮辱と受け止めるようなことは有り得ません。我々が幼児の無礼を受け止めるのと同じように(寛容的に)受け止められます。自然の摂理によっていずれは悲しみと罰とがもたらされるようになっているのです。罪それ自体は創造神への侮辱などではありません。従って無力な人間に報復という形で罰が加えられるなどということは有り得ません。罪はそれ自体が不変の摂理の侵犯としての罰を含んでいるのです。
 人間イエス・キリストの地上生活は、地上の人間が見習うべき一つの模範を垂れたものでした。が、それをもって人間の罪を贖ってくれるものと見做すことは赦し難い欺瞞であり、それこそ神を侮辱し、その汚れなき霊性を侮辱し、盲目的信仰に安住している者を堕落させ、己の軽信をもって美徳と思わせることになりかねません。
 その内、これ程好い加減な寓話が、よくも大真面目に信じられて来たものと呆れる日も来ることでしょう。我々にその普及の顕現が託されている真理は、いずれそうした人間的創作を全て無用のものとすることでしょう。人間は神を自分に似せて想像したのです。その神は極めて人間的です。人間らしさを幾つも具えております。もう少し崇高な概念が抱ける者ならばおよそ受け入れ難い性質を、人間は〝神〟の名の下に説いて来ました。
 地上人類は漸く今、全知全能の父なる神の概念へ向けて近付きつつあります。やがて新たな啓示を得て、全ての古い誤謬を排除し、新しい神の概念を理解することになるでしょう。全能の神から我々が頂いてきた啓示は、これまでの古い教義と思索の産物を排除し、それに代わって、作り話ではなく、有るがままの真理を授けることになるでしょう。
 霊的啓示は全て神から届けられます。がしかし、それまで人間が信じ希望を託して来たものの多くを除去しなければならない為に、必然的にそれは人間が〝信仰〟と呼んでいるものを覆すことになります。神は人間の理解力に応じたものを啓示されます。故に、神の啓示は段階的進歩を辿ることになります。それを授けようとする我々の仕事を阻止せんとする邪霊が組織的策謀を弄していますが、こうした反抗は真理が完全に普及し尽くすまでは途絶えることはないでしょう。それは信念の弱い者にとっては容易ならざる試金石となるでしょうし、信念強固な者にとっては油断ならない大敵となるでしょう。が、そこにこそ邪霊の存在意義もあるのです。
 見えざる通信霊の指導を仰ぐ時は、果してその霊が自ら広言する通りの存在であるか否かを見極めないで唯々諾々として承ることのないよう心して頂きたい。我々の立場から言わせて頂けば、真摯にして純粋な探求心から発する調査には何等恐れは覚えません。この交霊会において皆さんが目の当たりにされている現象は、キリストが行った奇跡と本質において同じものです。その耳でお聞きになる言葉はヘブライの預言者達の言葉と少しも変わるところはありません。
 スピリチュアリズムの知識はいずれ普及します。が、どこかの宗派の教義としてではありません。我々の啓示には主教も司祭も執事も必要としません。必要なのは守護・指導に当たる霊と、それを受ける人間の霊との交わりのみです。キリストも述べております-いずこかの土地、いずこかの人間が特に他より神聖であるかに説かれることのない時代が訪れるであろう、と」

 (注)-英国国教会のかつての大主教ウィリアム・テンプルの言葉にこうある-〝我が国教会の最大の誤りは、神は紀元66年まで世界の一地域すなわちパレスチナにのみ働きかけ、それ以後は他のいかなる土地にいかなる働きかけもしていないという信仰を作り上げてしまったことである〟と。いつから何を根拠にこうした説が出来上ったのかは知らないが、もしもその通りだとすると、交霊会というものは有り得ないことになる。キリスト教徒が交霊会を毛嫌いする理由はそこにあるが、ここでインペレーターが言っているのは、交霊会を通じてのみならず日常生活においても霊は人間に働きかけており、それが一番大切だということである。