次の質問に答えているのはインペレーターである。
-地上界の直ぐ下の界にはどういう霊が住んでいるのでしょうか。

 「人間界より一段低い界層には動物性が過度に発達してそれが霊性を圧倒してしまった者が存在する。彼等は最早肉欲以外には何も求めぬ者達であり、その動物的性向によって他人を傷つけた者達であり、今尚かつての歓楽街をうろついている。食道楽、ギャンブル狂、守銭奴もこの界にやって来る。
 もう一段低い界には更に肉欲によって霊性が汚され、更に徹底的に魂を見失える者達が住んでいる。その界の各地で、その種の霊の救済を任務とする霊の監視下で、自らを呪い、肉欲によって生活を破滅せる飲んだくれや忌まわしき好色家が生活している。進歩を望まぬが故にいつまでもそこから向上しないのであるが、自ら望めば、待機せる霊の祈りによって更生の道へ導かれる。堕落の道へ深く沈み行く者を更生させ救済するには祈りしかないのである」

-私達は、死後、自らの罪と過ちを償うことになるのでしょうか。

 「いかにもその通りである。罪が償わされずに終わることは絶対にない。いかに怠惰な過ちも見逃されることはない。魂そのものによって、いずれは償わされる。すなわち過ちの所産が可能な限り拭い去られるということである。友よ、故意に犯せる罪は苦き涙という代償を支払わされることになることを心されよ。過ちの種を蒔けばいかに恐ろしき報いを刈り取ることになるか、貴殿は知らぬ。何としても自ら刈り取らねばならぬのである。悲しみと恥辱の中に償わねばならぬのである」

 モーゼスが当時盛んだったキリスト教のリバリバル運動の催しに出席した後調子がおかしくなったことを述べると-
 「地上の霊的浄化の為に今様々な種類の霊が働いている。そしてその中には粗野で未熟なのもいる。様々な種類の人間に働きかける為に様々な霊が利用されているのである。人間界の今の沈滞状況よりは、いかなる形にせよ、霊的騒乱の方がましである。未熟霊は多くの点で誤りを犯しがちである。が、それは構わぬ。大衆を霊的存在へ関心を向けさせてくれればそれでよい。死にも似た惰眠をむさぼっている者を揺り起して目覚めさせることは結構なことであり、その為にいかなる手段が用いられようと構わぬ。
 ロンドンの死せるが如き大衆を揺り起す為に用いられている手段について、あまり神経質にならぬことである。貴殿を相手にしているわけではない。それを必要とする者の為であるから、一々構わぬがよい。それも、今地上に様々な形で広まりつつある霊的影響力の大波の一つなのである。全体として見れば行き過ぎもあろう。が、それによって目を覚まされ、破滅より救われる者もいる。貴殿にはショッキングであろうが、我々は喜ばしく思っている」

 病床にあるアイルランドの知人(女性)を何とかしてあげられないものかと尋ねると-
 「貴殿から得られる霊力はある一定の距離を超えると利用出来なくなる。又、その霊力を受け付けない雰囲気を生じさせている障害を取り除いてやることも、我々には不可能である。
 が、貴殿の真摯なる祈りが大きな力となるであろう。と言って、願い通りになるという意味ではない。病床にある身体を善良なる天使が良きに計らう上での力となるという意味である。そう願って祈るがよい。それが病においても死に際しても強力な援助となろう。すなわち病においては、人間的看護が無力となった時に霊界の専門家が手を施す時の力となろう。患者との繋がりが出来さえすれば、霊はその強力な治癒力によって病状を和らげ、体力回復の為の生命力を注ぐことになる。又、死して霊界へ赴くことになれば、尚のこと祈りの力を頼りとして、その霊を受け入れる霊団を差し向け、慣れぬ新しい環境の中での生活を指導してやることが望ましい。
 いずれにせよ、霊界側からの援助を可能にしてくれる人間側の真摯にして積極的な祈念を怠らないで欲しい。祈りの実際の威力を知れば、人間はもっともっとそれを活用することになるのであろうが・・・・。人間が勝手にこうあって欲しいと望む通りになると言うのではない。待機せる霊が悲しみを慰め、煩悩を和らげ、人間が想像するより遙かに豊かな恵みをもたらす、その機縁となるということである」

-人間は祈りの効用を殆ど知らずにいます。その為、確かに、祈ることを怠りがちです。
 「左様。人間の周りには善悪様々な霊が存在し、未熟な心が未熟な霊を呼び寄せるように、祈りに満ちた心が恵みの霊の援助を引き寄せるものであることを認識してくれれば有り難いのであるが・・・」

 その後その女性が他界したので、霊界での様子を尋ねると-
 「彼女は今、徐々に他界直後の朦朧とした意識状態から回復しつつあるところである。現在の脆弱な状態はここ当分続き、霊的強健さを身に付けるまでは、その状態から抜け出られないであろう。養護を必要とする者の為に設けられた施設で専門の霊によって看護されているところである。若死した者、或いは乱暴な最後を遂げた者の多くは、それまで生活した地上に近い所に特別に設けられた場所で専門の霊の看護を受けることになる。
 そこは中間境で、そこで休息しながら霊的機能の発達を図り、不足しているものを補う。どの天体にもそうした境涯があり、弱っている者、苦しんでいる者、霊的に飢えている者、若くして地上での生命を断たれた者が集められ、専門霊によって養育と看護とを受ける。向上する準備が整うまでそこに留まらねばならない。整った時点で漸く本来の霊格に合った境涯へと赴き、そこで本格的な向上進化の為の生活が始まり、次第に発展して行くことになる。嵐の航路の後の休息の港である。その境涯にいる者は地上との交信は許されない。言うなれば〝霊の庭〟に匿われているようなものであり、地上の粗野な空気に晒されることは許されないのである。そちらより交霊を求めることは止めよ。その思いは本人にとって障害にしかならぬ。それよりも、守護天使の下での順調な回復を祈ってあげることである」

 同じく女性の知人で、やはり最近他界したばかりの人について尋ねると-
 「彼女も、霊界の生活に何の備えもないままやって来る人間の一人であった。彼女の背後霊が申すには、彼女の地上生活は調和と安らぎと喜びに満ちた霊界生活への準備としては気の毒なものだったとのことである。喜びの乏しい、調和に欠ける人生程霊性を鈍らせ、飢(かつ)えさせ、憧憬の念を殺ぐものである。
 真の地上生活は調和と愛と進歩の生活である。愛に欠ける生活においては霊は拘束され、締め付けられ、そして傷付いて行く。地上生活において調和と進歩を得ずに終わった霊が、自分と同じような境遇で苦しむ者の為に地上へ戻り世話をするということはよくあることである。
 我々が思うに、彼女もいずれは戻って来て、霊性の発育を妨げられて冷え冷えとした生活を余儀なくされている地上の魂に愛の温もりを授ける仕事に携わることになろう。慰め、元気付け、天上的な安らぎを注ぐのである。いつの日か彼女は愛の天使となっていくことであろう」