自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 小桜姫物語

 修行も未熟、思慮も足りない一人の昔の女性がおこがましくもここにまかり出る幕でないことはよく存じておりまするが、こうも再々お呼び出しに預かり、是非詳しい通信をと、続けざまにお催促を受けましては、ツイその熱心にほだされて、無下にお断りも出来なくなってしまったのでございます。それに又神様からも『折角であるから通信したがよい』との思し召しでございますので、今回いよいよ思い切ってお言葉に従うことにいたしました。私としてはせいぜい古い記憶を辿り、自分の知っていること、又自分の感じたままを、作らず、飾らず、素直に申し述べることにいたします。それがいささかなりとも、現世の方々の研究の資料ともなればと存じております。何卒あまり過分の期待をかけず、お心易くお聞き取りくださいますように・・・・。
 ただ私として、前以てここに一つお断りしておきたいことがございます。それは私の現世生活の模様をあまり根堀り葉堀りお訊ねになられぬことでございます。私にはそれが何より辛く、今更何の取り得もなき、昔の身の上などを露ほども物語たくはございませぬ。こちらの世界へ引き移ってからの私どもの第一の修行は、成るべく早く醜い地上の執着から離れ、成るべく速やかに役にも立たぬ現世の記憶から遠ざかることでございます。私どもはこれでも色々と工夫の結果、やっとそれが出来て参ったのでございます。で、私どもに向かって身の上話をせいと仰るのは、言わば辛うじて治りかけた心の古傷を再び抉り出すような、随分惨たらしい仕打ちなのでございます。幽明の交通を試みられる人達は常にこの事を念頭に置いて頂きとう存じます。そんな訳で、私の通信は、主に私がこちらの世界へ引き移ってからの経験・・・つまり幽界の生活、修行、見聞、感想と言ったような事柄に力を入れてみたいのでございます。又それがこの道に携わる方々の私に期待されるところかと存じます。無論精神を統一してじっと深く考え込めば、どんな昔の事柄でもはっきり思い出すことが出来ないではありませぬ。しかもその当時の光景までがそっくりそのまま形態を造ってありありと眼の前に浮かび出てまいります。つまり私どもの境涯には殆ど過去、現在、未来の差別はないのでございまして。・・・・でも無理にそんな真似をして、足利時代の絵巻物を繰り広げてお目にかけてみたところで、大した値打ちはございますまい。現在の私としては到底そんな気分にはなりかねるのでございます。
 と申しまして、私が今いきなり死んでからの物語を始めたのでは、何やらあまり唐突・・・・現世と来世との連絡が少しも判らないので、取りつくしまがないように思われる方があろうかと感ぜられますので、甚だ不本意ながら、私の現世の経歴のホンの荒筋だけをかいつまんで申し上げることに致しましょう。乗りかけた船とやら、これも現世と通信を試みる者の免れ難き運命-業かも知れませぬ・・・・。
 私は-実は相州荒井の城主三浦道寸の息、荒次郎義光と申す者の妻だったものにございます。現世の呼び名は小桜姫-時代は足利時代の末期-今から約四百余年の昔でございます。勿論こちらの世界には昼夜の区別も、歳月のけじめもありませぬから、私はただ神様から伺って、成る程そうかと思うだけのことに過ぎませぬ。四百年といえば現世では相当長い月日でございますが、不思議なものでこちらではさほどにも感じませぬ。多分それはじっと精神を鎮めて、無我の状態を続けておる期間が多い故でございましょう。
 私の生家でございますか-生家は鎌倉にありました。父の名は大江廣信-代々鎌倉の幕府に仕えた家柄で、父もやはりそこに勤めておりました。母の名は袈裟代、これは加納家から嫁いでまいりました。両親の間には男の子はなく、たった一粒種の女の子があったのみで、それが私なのでございます。従って私は子供の時から随分大切に育てられました。別に美しい程でもありませぬが、体躯は先ず大柄な方で、それに至って健康でございましたから、私の娘時代は、全く苦労知らずの、丁度春の小鳥そのまま、楽しいのんびりした空気に浸っていたのでございます。私の幼い時分には祖父も祖母もまだ在命で、それはそれは眼にも入れたいほど私を寵愛してくれました。好い日和の折などには私はよく二、三の腰元どもにかしづかれて、長谷の大仏、江ノ島の弁天などにお詣りしたものでございます。寄せては返す七里ヶ浜の波打際の貝拾いも私の何より好きな遊びの一つでございました。その時分は鎌倉は武家の住宅の建ち並んだ、物静かな、そして何やら無骨な市街で、商家と言っても、品物は皆奥深く仕舞い込んでありました。そうそう私はツイ近頃不図した機会に、こちらの世界から一度鎌倉を覗いてみましたが、赤瓦や青瓦で葺いた小さな家屋のぎっしり建て込んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆れてしまいました。
 『あれが私の生まれた同じ鎌倉かしら・・・』私は独りそう呟いたような次第で・・・・。
 その頃の生活状態をもっと詳しく物語れと仰いますか-致し方がございません、お喋りついでに、少しばかり思い出してみることに致しましょう。勿論、順序などは少しも立っておりませぬから何卒そのおつもりで・・・・。