自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 先ずその頃の私達の受けた教育につきて申し上げてみましょうか-時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又歌道一通り、全て家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いましたので、私も子供の時分からそれを仕込まれました。その頃は女でも武芸一通りは稽古したものでございます。娘時代に受けた私の教育というのは大体そんなもので、馬術は後に三浦家へ嫁入りしてから習いました。最初私は馬に乗るのが厭でございましたが、良人から『女子でもそれ位の事は要る』と言われ、それから教えてもらいました。実地に行ってみると馬は至って大人しいもので、私は大変乗馬が好きになりました。乗馬袴を穿いて、すっかり服装が変わり、白鉢巻をするのです。主に城内の馬場で稽古したのですが、後には乗馬で鎌倉へ実家帰りをしたこともございます。従者も男子のみでは困りますので、一人の腰元にも乗馬の稽古を致させました。その頃ちょっと外出するにも、少なくとも四、五人の従者は必ず付いたもので・・・・。
 今度はその時分の物見遊山のお話なりといたしましょうか。物見遊山と申してもそれは至って単純なもので、普通はお花見、潮干狩り、神社仏閣詣で・・・・そんな事は只今と大した相違もないでしょうが、ただ当時の男子にとりて何よりの娯楽は猪狩り兎狩り等の遊びでございました。何れも手に手に弓矢を携え、馬に跨って、大変な騒ぎで出掛けたものでございます。父は武人ではないのですが、それでも山狩りが何よりの道楽なのでした。まして筋骨の逞しい、武家育ちの私の良人などは、三度の食事を一度にしてもよい位の熱心さでございました。『明日は大楠山の巻狩りじゃ』などと布達(おふれ)が出ると、乗馬の手入れ、兵糧の準備、狩子の勢揃い、まるで戦争のような大騒ぎでございました。
 そうそう風流な、優しい遊びも少しはありました。それは主として能狂言、猿楽などで、家来達の中にそれぞれその道の巧者なのがおりまして、私達も時々見物したものでございます。けれども自分でそれをやった覚えはございませぬ。京とは違って東国は大体武張った遊び事が流行したものでございますから・・・・。衣服調度類でございますか-鎌倉にもそうした品物を売り捌く商人の店があるにはありましたが、先程も申した通り、別に人目を引くように、品物を店頭に陳列するような事はあまりないようでございました。呉服物なども、良い品物は皆特別に織らせたもので、機織が中々盛んでございました。もっともごく高価の品は鎌倉では間に合わず、やはりはるばる京に誂えたように記憶しております。
 それから食物・・・・これは只今の世の中よりずっと簡単なように見受けられます。こちらの世界へ来てからの私達は全然飲食をいたしませぬので、従って細かいことは判りませぬが、ただ私の守護しているこの女(T夫人)の平生の様子から考えてみますと、今の世の調理法が大変手数のかかるものであることはうすうす想像されるのでございます。あの大そう甘い、白い粉・・・砂糖とやら申すものは、勿論私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主の米の粉を固めた打菓子でございました。それでも薄っすりと舌に甘く感じたように覚えております。又物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般の使用するものではなかったように記憶しております。無論酒もございました・・・濁ってはおりませぬが、しかしそう透き通ったものでもなかったように覚えております。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などに勧めました。
 こう言ったお話は、あまりつまらな過ぎますので、何卒これ位で切り上げさせて頂きましょう。私のようなあの世の住人が食物や衣類などにつきて遠い遠い昔の思い出語りをいたすのは何やらお門違いをしているようで、何分にも興味が乗らないで困ってしまいます・・・・。
       
       
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