自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 足掛け三年に跨る籠城・・・・月に幾度となく繰り返される夜討、朝駆、矢合わせ、切り合い・・・・どっと起こるトキの声、空を焦がす狼煙・・・・そして最後に武運いよいよ尽きてのあの落城・・・四百年後の今日思い出してみるだけでも気が滅入るように感じます。
 戦闘が始まってから、女子供は無論皆城内から出されておりました。私の隠れていた所は油壺の狭い入り江を隔てた南岸の森の蔭、そこにホンの形ばかりの仮家を建てて、一族の安否を気遣いながら侘び住まいをしておりました。只今私が祀られているあの小桜神社の所在地-少し地形は違いましたが、大体あの辺だったのでございます。私はそこで対岸のお城に最後の火の手の挙がるのを眺めたのでございます。
 『お城もとうとう落ちてしまった・・・・最早良人もこの世の人ではない・・・・憎ッくき敵・・・・女ながらもこの怨みは・・・・・』
 その時の一念は深く深く私の胸に喰い込んで、現世に生きている時はもとよりのこと、死んでから後も容易に私の魂から離れなかったのでございます。私がどうやらその後人並の修行が出来て神心が湧いてまいりましたのは、ひとえに神様のお諭しと、それから私の為に和やかな思念を送ってくだされた、親しい人達の祈願の賜物なのでこざいます。さもなければ私などはまだ中々救われる女性ではなかったのかも知れませぬ・・・・。
 兎にも角にも、落城後の私は女ながらも再挙を図るつもりで、僅かばかりの忠義な従者に護られて、あちこちに身を潜めておりました。領地内の人民も大変私に対して親切に庇ってくれました。-が、何を申しましても女の細腕、力と頼む一族郎党の数もよくよく残り少なになってしまったのを見ましては、再挙の計画の到底無益であることが次第々々に判ってまいりました。積もる苦労、重なる失望、ひしひしと骨身に染みる寂しさ・・・・私の体は段々衰弱してまいりました。
 幾月かを過ごす中に、敵の監視も段々薄らぎましたので、私は三崎の港から遠くもない、諸磯と申す漁村の方に出て参りましたが、モーその頃の私には世の中が何やら味気なく感じられてしようがないのでした。
 実家の両親は大変に私の身の上を案じてくれまして、しのびやかに私の仮宅を訪れ、鎌倉へ帰れと勧めてくださるのでした。『良人もなければ、家もなく、又跡を継ぐべき子供とてもない、よくよくの独り身、兎も角も鎌倉へ戻って、心静かに余生を送るのがよいと思うが・・・・』色々言葉を尽くして勧められたのでありますが、私としては今更親元へ戻る気持にはドーあってもなれないのでした。私はきっぱりと断りました。-
 『思し召しは誠に有難うございまするが、一旦三浦家へ嫁ぎました身であれば、再びこの地を離れたく思いませぬ。私はどこまでも三崎に留まり、亡き良人をはじめ、一族の後を弔いたいのでございます・・・・』
 私の決心のあくまで固いのを見て、両親も無下に帰家を勧めることも出来ず、そのまま空しく引取ってしまわれました。そして間もなく、私の住宅として、海から二、三丁引っ込んだ、小高い丘に、土塀を巡らした、ささやかな隠宅を建ててくださいました。私はそこで忠実な家来や腰元を相手に余生を送り、そしてそこで寂しくこの世の気息を引取ったのでございます。
 落城後それが何年になるかと仰るか-それは漸く一年余り私が三十四歳の時でございました。誠に短命な、つまらない一生涯でありました。
 でも、今から考えれば、私にはこれでも生前から幾らか霊覚のようなものが恵まれていたらしいのでございます。落城後間もなく、城跡の一部に三浦一族の墓が築かれましたので、私は自分の住居からちょいちょい墓参を致しましたが、墓の前で眼を瞑って拝んでおりますと、良人の姿がいつもありありと眼に現れるのでございます。当時の私は別に深くは考えず、墓に詣れば誰にも見えるものであろう位に思っていました。私が三浦の土地を離れる気がしなかったのも、つまりはこの事があった為でございました。当時の私に取りましては、死んだ良人に会うのがこの世に於ける、殆ど唯一の慰安、殆ど唯一の希望だったのでございます。『何としてもここから離れたくない・・・・』私は一途にそう思い込んでおりました。私は別に婦道がどうの、義理がこうのと言って、難しい理屈から割り出して、三浦に踏み止まった訳でも何でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話に過ぎなかったのでございます。
 でも、私が死ぬるまで三浦家の墳墓の地を離れなかったという事は、その領地の人民の心によほど深い感動を与えたようでございました。『小桜姫は貞女の鑑である』などと、申しまして、私の死後に祠堂(やしろ)を立て神に祀ってくれました。それが現今も残っている、あの小桜神社でございます。でも右申し上げた通り、私は別に貞女の鑑でも何でもございませぬ。私はただどこまでも自分の勝手を通した、一本気の女性だったに過ぎないのでございます。