自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 気の進まぬ現世時代の話も一通り片付いて、私は何やら身が軽くなったように感じます。そちらから御覧になったら私達の住む世界は甚だ頼りのないように見えるかも知れませぬが、こちらから現世を振り返ると、それは暗い、せせこましい、空虚な世界-どう思い直してみても、今更それを物語ろうという気分にはなり兼ねます。とりわけ私の生涯などは、どなたのよりも一層つまらない一生だったのでございますから・・・・。
 え、まだ私の臨終の前後の事情がはっきりしていないと仰るか・・・・そういえばホンにそうでございます。では致し方がございません、これから大急ぎで、一通りそれを申し上げしまうことに致しましょう。
 前にも述べた通り、私の体は段々衰弱して来たのでございます。床についてもさっぱり安眠が出来ない・・・箸を執っても一向食物が喉に通らない・・・心の中はただむしゃくしゃ・・・、口惜しい、怨めしい、味気ない、寂しい、情けない・・・・何が何やら自分にもけじめのない、様々の妄念妄想が、暴風雨のように私の衰えた体の内を駆け巡っておるのです。それにお恥ずかしいことには、持って生まれた負けず嫌いの気性、内実は弱いくせに、無理にも意地を通そうとしておるのでございますから、つまりは自分で自分の身を削るようなもの、新しい住居に移ってから一年とも経たない中に、私はせめてもの心遣いなる、あのお墓参りさえも出来ないまでに、よくよく悴憔(やみほう)けてしまいました。一口に申したらその時分の私は、消えかかった青松葉の火が、プスプスと白い煙を立て燻っているような按配だったのでございます。
 私が重い枕に就いて、起居も不自由になったと聞いた時に、第一に馳せつけて、なにくれと介抱に手を尽くしてくれましたのはやはり鎌倉の両親でございました。『こうかけ離れて住んでいては、看護に手が届かんで困るのじゃが・・・』めっきり小びんに白いものが混じるようになった父は、そんな事を申して何やら深い思案に暮れるのでした。大方内心では私の事を今からでも鎌倉に連れ戻りたかったのでございましたろう。気性の勝った母は、口に出しては別に何とも申しませんでしたが、それでも女はやはり女、木陰へ回ってそっと涙を拭いて長太息を漏らしているのでこざいました。
 『いつまでも老いたる両親に苦労をかけて、自分は何という親不孝者であろう。いっそのこと全てを諦めて、大人しく鎌倉へ戻って専心養生に努めようかしら・・・・』そんな素直な考えも心のどこかに囁かないでもなかったのですが、次の瞬間には例の負け嫌いが私の全身を包んでしまうのでした。『良人は自分の眼の前で討死したではないか・・・・・憎いのはあの北条・・・・・たとえ何事があろうとも、今更おめおめと親許などに・・・・・』
 鬼の心になり切った私は、両親の好意に背き、同時に又天をも人をも怨み続けて、生き甲斐のない日にちを数えていましたが、それもそう長いことではなく、いよいよ私にとりて地上生活の最後の日が到着いたしました。
 現世の人達から観れば、死というものは何やら薄気味の悪い、何やら縁起でもないものに思われるでございましょうが、私共から観れば、それは一匹の蛾が繭を破って脱け出るのにも類した、格別不思議とも無気味とも思われない、自然の現象に過ぎませぬ。従って私としては割合に平気な気持で自分の臨終の模様をお話することが出来るのでございます。
 四百年も以前のことで、大変記憶は薄らぎましたが、ざっと私のその時の実感を述べますると-何よりも先ず目立って感じられるのは、気が段々遠くなって行くことで、それは丁度、あのうたた寝の気持-正気のあるような、又無いような、なんとも言えぬうつらうつらした気分なのでございます。傍から覗けば、顔が痙攣したり、冷たい脂汗が滲み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、実際自分が死んでみると、それは思いの外に楽な仕事でございます。痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと体の内部に根を張っている時のこと、臨終が近付いて、魂が肉のお宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、どこかへ消える、というよりか、寧ろ遠のいてしまいます。誰かが枕辺で泣いたり、叫んだりする時にはちょっと意識が戻りかけますが、それとてホンの一瞬の間で、やがて何もかも少しも判らない、深い深い無意識のモヤの中へと潜り込んでしまうのです。私の場合には、この無意識の期間が二、三日続いたと、後で神様から教えられましたが、どちらかといえば二、三日というのは先ず短い部類で、中には幾年幾十年と長い長い睡眠を続けているものも稀にはあるのでございます。長いにせよ、又短いにせよ、兎に角この無意識から眼を覚ました時が、私達の世界の生活の始まりで、舞台がすっかり変わるのでございます。