自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 一通り見物が済むと、私達は再び岩屋の内部へ戻って来ました。すると神様は私に向かい、早速修行のことにつきて、噛んでくくめるように色々と説き諭してくださるのでした。
 『これからのそなたの生活は、現世のそれとはすっかり趣が変わるから一時も早くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世の生活にありては、主なるものが衣食住の苦労、大概の人間はただそれっきりの事にあくせくして一生を過ごしてしまうのであるが、こちらでは衣食住の心配は全然ない。大体肉体あっての衣食住で、肉体を棄てた幽界の住人は、出来るだけ早くそうした地上の考えを頭脳の中から払い除ける工夫をせなければならぬ。それからこちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又諸々の欲望・・・・そう言ったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮かぶ瀬はないことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆ど何物もないといえる。つまりこれは一心不乱に神様を念じ、神様と自分とを一体に纏めてしまって、他の一切の雑念妄想を払い除ける工夫なのであるが、実地にやってみると、これは思いの外に難しい仕事で、少しの油断があれば、姿はいかに殊勝らしく神様の前に座っていても、心はいつしか悪魔の胸に通っている。中身よりも外形を尊ぶ現世の人の眼には、それで結構眩ませることが出来ても、こちらの世界ではその誤魔化しは利かぬ。全ては皆神の眼に映り、又或る程度お互いの眼にも映る・・・・・。で、これからそなたも早速この精神統一の修行にかからねばならぬが、勿論最初から完全を望むのは無理で、従って或る程度の過失は見逃しもするが、眼にあまる所はその都度厳しく注意を与えるから、そなたもその覚悟でいてもらいたい。又何ぞ望みがあるなら、今の中に遠慮なく申し出るがよい。無理のないことであるなら全て許すつもりであるから・・・・・』
 漸く寝床を離れたと思えば、モーすぐこのような厳しい修行のお催促で、その時の私は随分辛いことだ、と思いました。その後こちらで様子を窺っておりますと、人によりては随分寛いだ取り扱いを受け、まるで夢のような、呑気らしい生活を送っているものも沢山見受けられますが、これはドーいう訳か私にもよく判りませぬ。私などはとりわけ、厳しい修行を仰せ付けられた一人のようで、自分ながら不思議でなりませぬ。やはりこれも身魂の因縁とやら申すものでございましょうか・・・・。
 それは兎も角も、私は神様から何ぞ望みのものを言えと言われ、色々と考え抜いた末にたった一つだけ注文を出しました。-
 『お爺さま、どうぞ私に一つの御神鏡を授けて頂きとう存じます。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行を致そうと思います。何かの目標がないと、私にはとても神様を拝むような気分になれそうもございませぬ・・・・』
 『それは至極もっともな願いじゃ、直ちにそれを頂いてつかわす』
 お爺様は快く私の願いを入れ、ちょっとあちらを向いて黙祷されましたが、モー次の瞬間には、白木の台座の付いた、一体の御鏡がお爺さまの掌に載っていました。右の御鏡は早速岩屋の奥の、程よき高さの壁の凹所に据えられ、私の礼拝の最も神聖な目標となりました。それからモー四百余年、私の境涯はその間に幾度も幾度も変わりましたが、しかし私は今も尚その時頂いた御鏡の前で静座黙祷を続けておるのでございます。