自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 参考の為に少し幽界の修行の模様を聞きたいと仰いますか・・・。宜しうございます。私の存じていることは何なりとお話致しますが、しかし現界でやるのと格別の相違もございますまい。私達とてやはり御神前に静座して、心に天照大御神様の御名を唱え、又八百万の神々にお願いして、出来るだけ汚い考えを払い除ける事に精神を打ち込むのでございます。もとより肉体はないのですから、現世でやるような、斎戒沐浴は致しませぬ。ただ斎戒沐浴をしたと同一の清らかな気持になればよいのでございまして・・・。
 それで、本当に深い深い統一状態に入ったとなりますと、私共の姿はただ一つの球になります。ここが現世の修行と幽界の修行との一番目立った相違点かも知れませぬ。人間ではどんなに深い統一に入っても、体が残ります。いかに御本人が心で無と観じましても、側から観れば、その姿はチャーンとそこに見えております。しかるに、こちらでは、本当の精神統一に入れば、人間らしい姿は消え失せて、側から覗いても、たった一つの白っぽい球の形しか見えませぬ。人間らしい姿が残っているようでは、まだ修行が積んでない何よりの証拠なのでございます。『そなたの、その醜い姿は何じゃ!まだ執着が強過ぎるぞ・・・・』私は何度醜い姿をお爺さまに見つけられてお叱言を頂戴したか知れませぬ。自分でも、こんな事では駄目であると思い返して、一生懸命神様を念じて、あくまで清らかな気分を続けようと焦るのでございますが、焦れば焦る程、チラリチラリと暗い影が射して来て統一を妨げてしまいます。私の岩屋の修行というのは、つまりこうした失敗とお𠮟言の繰り返しで、自分ながらほとほと愛想が尽きる位でございました。私というものはよくよく執着の強い、罪の深い、女性だったのでございましょう。-この生活が何年位続いたかとのお訊ねでございますか・・・。自分では一切夢中で、さほど永いとも覚えませんでしたが、後でお爺さまから伺いますと、私の岩屋の修行は現世の年数にして、ざっと二十年余りだったとの事でございます。
 現世的執着の中で、私にとりて、何よりも断ち切るのに骨が折れましたのは、前申す通りやはり、血を分けた両親に対する恩愛でございました。現世で何一つ孝行らしい事もせず、ただ一人先立ってこちらの世界に引越してしまったのかと考えますと、何とも言えず辛く、悲しく、残り惜しく、相済まなく、座しても立ってもおられないように感ぜられるのでございました。人間何が辛いと申しても、親と子とが順序を変えて死ぬる程、辛いことはないように思われます。無論私には良人に対する執着もございました。しかし良人は私よりも先に亡くなっており、それに又神さまが、時節が来れば会わしてもやると申されましたので、そちらの方の観念は割合早くつきました。ただ現世に残した父母の事はどう焦りましても諦め兼ねて悩み抜きました。そんな場合には、神様も、精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。私はよく間近の岩へ噛り付いて、悶え泣きに泣き入りました。そんな真似をしたところで、一旦死んだ者が、とても現世へ戻れるものでない事は充分承知しているのですが、それでやはり止めることが出来ないのでございます。
 しかし何より困るのは、現世に残っている父母の悲嘆が、ひしひしと幽界まで通じて来ることでございました。両親は怠らず、私の墓へ詣でて花や水を手向け、又十日祭とか、五十日祭とか申す日には、その都度神職を招いて丁重なお祭祀をしてくださるのでした。修行未熟の、その時分の私には、現界の光景こそ見えませんでしたが、しかし両親の心に思っておられることは、はっきりとこちらに感じて参るばかりか、『姫や姫や!』と呼びながら、絶え入るばかりに泣き悲しむ母の音声までも響いて来るのでございます。あの時分のことは今思い出しても自ずと涙がこぼれます・・・。
 こう言った親子の情愛などと申すものは、いつまで経っても中々消えて無くなるものではないようで、私は現在でもやはり父は父として懐かしく、母は母として慕わしく感じます。が、不思議なもので、段々修行が積むにつれて、ドーやら情念の発作を打ち消して行くのが上手になるようでございます。それがつまり向上なのでございましょうかしら・・・。