自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 暫く湖水の畔を伝って歩いている中に、山が段々低くなり、やがて湖水が尽きると共に山も尽きて、広々とした、少しうねりのある、明るい野原にさしかかりました。私達はその野原を貫く細道をどこまでもどこまでも先へ急ぎました。
 やがて前面に、やや小高い砂丘の斜面が現れ、道はそのてっぺんの所に登って行きます。『何やら由井ヶ浜らしい景色である・・・』私はそんなことを考えながら、格別険しくもないその砂丘を登り詰めましたが、さてそこから前面を見渡した時に、私はあまりの絶景に覚えずはっと気息づまりました。砂丘の直ぐ真下が、えも言われぬ美しい一つの入り江になっているのではありませぬか!
 刷毛(はけ)で刷いたような弓なりになった広い浜・・・のたりのたりと音もなく岸辺に寄せる真っ青な海の水・・・薄絹を広げたような、果てしもなく続く浅霞・・・・水と空との融け合う辺りにほのぼのと浮く遠山の影・・・・それはさながら一幅の絵巻物を繰り広げたような、実に何とも言えぬ絶景でございました。
 明けても暮れても、眼に入るものはただ山ばかり、ひたすら修行三昧に永い歳月を送った私でございますから、尚更この海の景色が気に入ったのでございましょう、暫くの間私は全く全てを打ち忘れて、砂丘の上に立ち尽くして、つくづくと見惚れてしまったのでございました。
 『どうじゃ、中々の良い眺めであろうが・・・・』
 そう言われて私はやっと自分に戻りました。
 『お爺さま、私、こんな和やかな、良い景色は、まだ一度も見た試しがございませぬ・・・。ここは何と申すところでございますか?』
 『これが龍宮界の入り口なのじゃ。ここから龍宮はそう遠くない・・・・』
 『龍宮はやはり海の底にあるのでございますか?』
 『イヤイヤあれは例によりて人間共の勝手な作り事じゃ。乙姫様は決して魚族の親戚でもなければ又人魚の叔母様でもない・・・・。が、元々龍宮は理想の別世界なのであるから、造ろうと思えば海の底にでも、又その他のどこにでも造れる。そこが現世の造りつけの世界と大変に違う点じゃ・・・』
 『左様でございますか・・・・』
 何やらよくは腑の落ち兼ねましたが、私はそう御返答するより外に致し方がないのでした。
 『さて』とお爺さんは、暫く経ってから、いと真面目な面持で語り出でました。『ワシの役目はここまで汝を案内すればそれで済んだので、これから先は汝一人で行くのじゃ。あれ、あの入り江のほとりから、少し左に外れたところに見ゆる真平な街道、あれをどこまでもどこまでも辿って行けば、その突き当たりがつまり龍宮で、道を間違えるような心配は少しもない・・・。又龍宮へ行ってからは、どなたにお目にかかるか知れぬが、いずれにしても、ただ先方のお話を伺うだけでは面白うない。気の付いたこと、腑に落ちぬことは、少しの遠慮もなく、どしどしお訊ねせんければ駄目であるぞ。全て神界の掟として、こちらの求めるだけしか教えられぬものじゃ。で、何事も油断なく、よくよく心の眼を開けて、乙姫さまから愛想を尽かされることのないよう心懸けてもらいたい・・・・。ではワシはこれで帰りますぞ・・・・』
 そう言って、つと立ち上がったかと思うと、もうお爺さんの姿はどこにも見えませんでした。例によりてその呆気なさ加減と言ったらありません。私はちょっと心寂しく感じましたが、それはほんの一瞬間のことでございました。私はこんな場合にいつも肌から離さぬ、例の母の紀念(かたみ)の懐剣を、しっかりと帯の間にさし直して、急いで砂丘を降りて、お爺さんから教えられた通り、あの龍宮街道を真直ぐに進んだのでした。
 その後も私は幾度となくこの龍宮街道を通りましたが、何度通ってみても心地のよいのはこの街道なのでございます。それは天然の白砂をば何かで程よく固めたと言ったような、踏み心地で、足飾りの良さと申したら比類がありませぬ。そして何処に一点の塵とてもなく、又道の両側に程よくあしらった大小様々の植え込みも、実に何とも申し上げかねるほど綺麗に出来ており、とても現世ではこんな素晴らしい道路は見られませぬ。その街道がどの位続いているかとお訊ねですか・・・・さァどれ位の道程かは、ちょっと見当がつきかねますが、よほど遠いことだけは確かでございます。街道の入り口の辺りから前方を眺めても、霞(かすみ)が一帯にかかっていて、何も眼に入りませぬが、暫く過ぎると有るか無きかのように、うっすらと山の影らしいものが現れ、それから又暫く過ぎると、何やらほんのりと丹塗りの門らしいものが眼に映ります。その辺からでも龍宮の御殿まではまだ半里位はたっぷりあるのでございます・・・・。何分絵心も何も持ち合わせない私の力では、何の取り留めたお話も出来ないのが、大変に残念でございます。あの美しい道中の眺めの、せめて十分の一なりとも皆様にお伝えしたいのてございますが・・・・。