自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 良人がいよいよ来着したのは、それから暫しの後で、私がふと脇見をした瞬間に、五十余りと見ゆる一人の神様に付き添われて、忽然として私の直ぐ前面に、ありし日の姿を現わしたのでした。
 『あッやはり元の良人だ・・・』
 私は今更ながら生死の境を越えて、少しも変わっていない良人の姿に驚嘆の眼を見張らずにはいられませんでした。服装までも昔ながらの好みで、鼠色の衣装に大紋打った黒の羽織、これに袴をつけて、腰にはお定まりの大小二本、大変にきちんと改まった扮装なのでした。
 これが現世での出来事だったら、その時何をしたか知れませぬが、さすがに神様の手前、今更取り乱したところを見られるのが恥ずかしうございますから、私は一生懸命になって、平気な素振りをしていました。良人の方でも少しも弱味を見せず、落ち着き払った様子をしていました。
 しばし沈黙が続いた後で、私から言葉をかけました。-
 『お別れしてから随分長い歳月を経ましたが、図らずも今ここでお目にかかることが出来まして、心から嬉うございます』
 『全く今日は思いがけない面会であった』と良人もやがて武人らしい、重い口を開きました。『あの折は思いの外の乱軍、訣別の言葉一つ交わす隙もなく、あんな事になってしまい、そなたも定めし本意ないことであったであろう・・・・。それにしてもそなたが、こうも早くこちらの世界へ来るとは思わなかった。いつまでも安泰に生き長らえていてくれるよう、自分としては蔭ながら祈願していたのであったが、しかし過ぎ去ったことは今更何とも致し方がない。全ては運命と諦めてくれるよう・・・・』
 飾り気のない良人の言葉を私は心から嬉しいと思いました。
 『昔の事はモー何とも仰ってくださいますな。あなたにお別れしてからの私は、お墓参りが何よりの楽しみでございましたが、やはり寿命と見えて、直にお後を慕うことになりました。一時の間こそ随分口惜しいとも、悲しいとも思いましたが、近頃は、ドーやら諦めがつきました。そして思いがけない今日のお目通り、こんな嬉しい事はございませぬ・・・・』
 かれこれと語り合っている中にも、お互いの心は次第々々に融け合って、さながらあの思い出多き三浦の館で、主人と呼び、妻と呼ばれて、楽しく起居を共にした時代の現世らしい気分が復活して来たのでした。
 『いつまで立ち話でもなかろう。その辺に腰でもかけるとしようか』
 『ほんにそうでございました。丁度ここに手頃の腰掛がございます』
 私達は三尺ほど隔てて、右と左に並んでいる、木の切り株に腰をおろしました。そこは監督の神様達もお気を利かせて、あちらを向いて、素知らぬ顔をしておられました。
 対話はそれからそれへと段々滑らかになりました。
 『あなたは生前と少しもお変わりがないばかりか、却って少しお若くなりはしませぬか』
 『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来てから何年経っても年齢を取らないというところが不思議じゃ』と良人は打ち笑い、『それにしてもそなたはちと老けたように思うが・・・・』
 『あなたとお別れしてから、色々苦労をしましたので、自然やつれが出たのでございましょう』
 『それは大変気の毒なことであった。が、こうなっては最早苦労のしようもないから、その中自然元気が出て来るであろう。早くそうなってもらいたい』
 『承知致しました。みっちり修行を積んで、昔よりも若々しくなってお目にかけます・・・』
 さして取り留めの無い事柄でも、こうして親しく語り合っておりますと、私達の間には言うに言われぬ楽しさがこみ上げて来るのでした。