自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 あまり面会談ばかり続いたようでございますから、今度は少し模様を変えて、その頃修行の為に私がこちらで探検に参りました、珍しい境地のお話をすることに致しましょう。こちらの世界には、現世とは全く違った、それはそれは変わったものが住んでいるところがあるのでございます。それがあまりにも飛び離れて過ぎていますので、あなた方は事によると半信半疑、よもやとお考えになられるか存じませぬが、これが事実であってみれば、自分の考えで勝手に手加減を加える訳にもまいりませぬ。あなた方がそれを受け入れるか、入れないかは全く別として、兎も角も私の眼に映じたままを率直に述べてみることに致します。
 『今日は天狗の修行場に連れて行く・・・・』
 ある日例の指導役のお爺さんが私にそう言われます。私には天狗などというものを別に見たいという考えもないのでございましたが、それが修行の為とあればお断りするのもドーかと思い、浮かぬ気分で、黙ってお爺さんの後について、山の修行場を出掛けました。
 いつもとは異なり、その日は修行場の裏山から、奥へ奥へとどこまでも険阻な山路を分け入りました。こちらの世界では、どんな山坂を登り降りしても格別疲労は感じませぬが、しかし何やらシーンと底冷えのする空気に、私は覚えず総毛立って、体がすくむように感じました。
 『お爺さま、ここはよほどの深山なのでございましょう・・・私はぞくぞくしてまいりました・・・・』
 『寒く感ずるのは山が深いからではない。ここはもうそろそろ天狗界に近いので、一帯の空気が自ずと違って来たのじゃ。大体天狗界は女人禁制の場所であるから汝にはあまり気持が宜しくあるまい・・・・』
 『よもや天狗さんが怒って私をさらって行くようなことはございますまい・・・・』
 『その心配は要らぬ。今日は神界からのお指図を受けて訪ねるのであるから、立派なお客様扱いを受けるであろう。二度とこうした所に来ることもあるまいから、よくよく気をつけて天狗界の状況を探り、又不審の点があったら遠慮なく天狗の頭目に訊ねておくがよいであろう・・・・』
 やがて古い古い杉木立がぎっしりと全山を蔽い尽して、昼尚暗い、とてもものすごい所へ差し掛かりました。私はますます全身に寒気を感じ、心の中では逃げて帰りたい位に思いましたが、それでもお爺さんが一向平気でズンズン足を運びますので、やっとの思いで付いて参りますと、いつしか一軒の家屋の前へ出ました。それは丸太を切り組んで出来た、やっと雨露を凌ぐだけの、極めてざっとしたあばら家で、広さは畳ならば二十畳は敷ける位でございましょう。が、勿論畳は敷いてなく、ただ荒削りの厚板張りになっておりました。
 『ここが天狗の道場じゃ。人間の世界の剣術道場によく似ているであろうが・・・』
 そんなことを言ってお爺さんは私を促して右の道場へ歩み入りました。
 と見ると、室内には白衣を着た五十余歳と思われる一人の修験者らしい人物が居て、丁重に腰をかがめて私達を迎えました。
 『ようこそ・・・。かねてのお達しで、あなた方のお出でをお待ち受けしておりました』
 私は直ちにこれが天狗さんの頭目であるな、と悟りましたが、かねて想像していたのとは違って、格別鼻が高い訳でもなく、ただ体格が普通人より少し大きく、又眼の色が人を射るように強い位の相違で、そしてその総髪にした頭の上には例の兜巾(ときん)がチョコンと載っておりました。
 『女人禁制の土地柄、格別のおもてなしとて出来申さぬ。ただいささか人間離れのした、一風変わっているところがこの世界の御馳走で・・・・』
 案外にさばけた挨拶をして、笑顔を見せてくれましたので、私も大変に心が落ち着き、天狗さんというものは割合に優しい所もあるものだと悟りました。
 『今日はとんだお邪魔を致しまする。では御免遊ばしませ・・・・』
 私は履物を脱いで、とうとう天狗さんの道場に上り込んでしまいました。