自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 たった一人で、そんな山奥の滝壺の縁に暮らすことになって、寂しくはなかったかと仰るか・・・。ちっとも寂しいだの、気味が悪いだのということはございませぬ。そんな気持に襲われるのは死んでから間のない、何も判らぬ時分のこと、少しこちらで修行が積んでまいりますと、自分の身辺はいつも神様の有り難い御力に護られているような感じがして、どこに行っても安心して居られるのでございます。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い浄地で、そこには大そうお立派な一体の龍神様が鎮まって居られるのでした。
 ある時私が一心に統一の修行をしておりますと、誰か背後の方で私の名を呼ぶものがあるのです。『指導役のお爺さんかしら・・・』そう思って不図振り返って見ると、そこには六十前後と見える、すぐれて品のよい、凛々しいお顔の、白衣の老人が黒っぽい靴を穿いて佇んでいました。私は一目見て、これはきっと貴い神様だと悟り、丁寧に御挨拶を致しました。それがつまりこの瀑布の白龍様なのでございました。
 『ワシは古くからこの瀑布を預かっている老人の龍神じゃが、この度縁あって汝を手元に預かることになって甚だ喜ばしい。一度汝に会っておこうと思って、今日はわざわざ老人の姿に化けて出現してまいった。人間と談話をするのに龍体ではちと対照が悪いのでな・・・・』
 そう言って私の顔を見て微笑まれました。私はこんな立派な神様が時々姿を現わして親切に教えてくださるかと思うと、忝(かたじけ)ないやら、心強いやら、自ずと涙が滲み出ました。-
 『これからは何卒よしなに御指導くださいますよう・・・』
 『ワシの力量の及ぶことなら何なりと申し出るがよい。既に龍宮界からも、そなたの為によく取り計らえとのお指図じゃ。遠慮なく訊きたいことを訊いてもらいたい』
 親身になって色々と優しく言われますので、私の方でもすっかり安心して、勿体ないとは思いつつも、いつしか懇意な叔父様とでも対話しているような、打ち解けた気分になってしまいました。
 『あの大そう不躾なことを伺いますが、あなた様はよほど永くここにお住まいでございますか』
 『さァ人間界の年数に直したら何年位になろうかな・・・』と老龍神はにこにこしながら『少なく見積もっても三万年位にはなるであろうかな』
 『三万年!』と私はびっくりして、『その間には随分色々の変わった事件が起こったでございましょう・・・・』
 『元々こちらの世界のことであるから、さまで変わった事件も起こらぬ。最初ここへ参った時に青黒かったワシの体がいつの間にやら白く変わった位のものじゃ。その中ワシの本当の姿を汝に見せてあげるとしよう』
 『それは何時でございましょうか。只今直ぐに拝まして頂きとう存じまするが・・・・』
 『イヤ直ぐという訳にはまいらぬ。汝の修行がもう少し積んで、これからばと思われる時に見せるとしよう』
 その時はそんな対話をしただけでお分かれしましたが、私としては一時も早くこの瀑布の龍神様の本体を拝みたいばかりに、それからというものは、一心不乱に精神統一の修行を続けました。又場所が場所だけに、近頃の統一状態は以前よりもずっと深く、ずっと混じりなくなったように自分にも感じられました。
 それからどれ位経った時でございましょうか、ある日俄かに私の眼の前に、一道の光明がさながら洪水のように、どっと押し寄せてまいりました。一旦は、はっと驚きましたが、それが何かのお知らせであろうと気がついて心を落ち着けますと、続いて瀑布の方向に向かって、耳が潰れるばかりの異様の物音が響きます。
 私は直ちに統一を止めて、急いで瀧壺の上に走り出てみますと、果してそこには一体の白龍・・・爛々と輝く両眼、すっくと突き出された二本の大きな角、銀(しろがね)をあざむく鱗、鋒(ほこ)を植えたような沢山の牙・・・胴の周囲は二尺位、身長は三間余り・・・そう言った大きな、神々しいお姿が、どっと落ち来る飛沫を全身に浴びつつ、いかにも悠々たる態度で、岩角を伝わって、上へ上へとよじ登って行かれる・・・・。
 眼の当たり、こうした荘厳無比の光景に接した私は、感極まりて言葉も出でず、覚えず両手を合わせて、その場に立ち尽くしたことでございました。
 私は前にも幾度か龍体を目撃しておりますが、この時程間近く見、この時程立派なお姿を拝んだことはございませぬ。その時の光景はとても私の拙い言葉で尽くすことは出来ませぬ。どうぞ然るべくお察しをお願いします・・・。