自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 それから訊ねらるるままに、私は母に向かって、帰幽後こちらの世界で見聞したくさぐさの物語を致しましたが、いつも一室に閉じ籠もって、単調なその日その日を送っている母にとりては、一々びっくりすることのみ多いらしいのでした。最後に私が、最近瀧の龍神さんの本体を拝まして頂いた話を致しますと、母の驚きは頂点に達しました。
 『私はこちらの世界へ来ておりながら、ただの一度もまだ龍神さんの御本体を拝まして頂いたことがない。今日はあなたを訪ねた記念に、是非こちらの龍神様にお目通りをしたい。あなたから篤とお頼みしてくださらぬか・・・』
 これには私もいささか当惑してしまいました。果して瀧の龍神さんが快く母の頼みを諾(き)いてくださるかどうか、私にも全く見当がとれないのでした。
 『兎も角も、私から折り入ってお願いしてみることに致しましょう。暫くお待ちくださいませ・・・』
 私は単身滝壺の側を通って上のお宮に詣で、母の願望を叶えさせてくださるようお頼みしました。
 瀧の龍神さんはいつものように老人の姿でお現れになり、微笑を浮かべてこう言われるのでした。-
 『汝達の談話はようワシにも聴こえていました。人間の母子の情愛と申すものは、大抵皆ああしたものらしく、ワシ達の世界のように中々あっさりはしておらんな。それで汝の母人は、今日ここへ来たついでにワシの本体を見物して、それを土産に持って帰りたいということのようであるが、これは少々困った注文じゃ。ワシの方で勿体ぶる訳ではないが、汝の母人の修行の程度では、ワシがいかに見せたいと思ってもまだとてもまともにワシの姿を見ることは出来ぬのじゃ・・・・。が、折角の頼みとあってみれば何とか便宜を図ってあげずばなるまい。兎も角も母人を滝壺の所へ連れて参るがよかろう・・・・』
 私は早速修行場から母を滝壺の辺に連れ出しました。そして二人で、両手を合わせて一心に祈願を籠めておりますと、やがてどっと逆落しに落ち来る瀧の飛沫(しぶき)の中に、二間位の白い女性の龍神の優しい姿が現れて、岩角を伝ってすーッと上方に消え去りました。
 『あれはワシの子供の一人じゃが・・・・』
 そう言われて、驚いて振り返ると、瀧の龍神さんが、いつもの老人の姿で、にこにこしながら、私達の背後に来て、佇んでおられるのでした。
 私は厚く今日のお礼を述べて母を引き合わせました。龍神さんはいとど優しく、色々と母を労わってくださいましたので、母もすっかり安心して、丁度現世でするように私の身に上を懇々とお頼みするのでした。
 『不束(ふつつか)な娘でございますが、どうぞ今後とも宜しうお導きくださいますよう・・・・。さぞ何かとお世話が焼けることでございましょう・・・・』
 『イヤあなたは良いお子さんをもたれて、大変にお幸せじゃ』龍神さんというよりも寧ろ人間らしい挨拶ぶり。『近頃は大分修行も積まれてもう一息というところじゃ。人間には執着が強いので、それを棄てるのが中々の苦労、ここまで来るのには決して生易しい事ではない・・・・』
 『これから先は娘はどういう風になるのでございますか。まだ他にも色々修行があるのでございましょうか?』
 『イヤそろそろ修行に一段落つくところじゃ。本人が生前大変に気に入った海辺があるので、これからそこへ落ち着かせることになっておる・・・・・』
 『左様でございますか。どんなに本人にとりまして満足なことでございましょう』と母は自分のことよりも、私の前途につきて心を遣ってくれるのでした。『それについては、私があまり度々訪ねるのは、却って修行の邪魔になりましょうから、成るべく自分の住所を離れずに、ただ折々の消息を聞いて楽しむことに致しましょう。その内折を見てこの娘の良人なりと訪ねさせて頂きとうございます。そうすれば修行をするにもどんなに張り合いがあることでございましょう・・・・』
 『イヤそれはもう暫く待ってもらいたい』と瀧の龍神さんは慌て気味に母を制しました。『あの人にはあの人としての仕事があり、めいめいすることが違います。良人を呼ぶのは海辺の修行場へ移ってからのことじゃ・・・・』
 『やはりそんな訳のものでございますか・・・。私共にはこちらの世界のことがまだよく呑み込めないので、時々飛んだ失策を致します。何分神様の方で宜しきように・・・・』
 『その点はどうぞ安心なさるように・・・。ではこれでお別れします』
 瀧の龍神さんがプイと姿を消し、それと入れ代わりに母の指導役のお爺さんが早速姿を現わしましたので、母は名残惜しげに、それでも大して涙も見せず、間もなく別れを告げて帰り行きました。
 『やはり生みの母は有り難い・・・』
 見送る私の眼からはこらえこらえた溜涙が一度に瀧のように流れました。