自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 間もなく良人の姿がすーッと波打際に現れました。服装その他は相変わらずでございますが、暫く見ぬ間に幾らか修行が積んだのか、どことなく身に貫禄がついておりました。
 『近頃は大変に御無沙汰を致しました。いつも御機嫌で何より結構でございます・・・・』
 『お互いにこちらでは別に風邪も引かんのでナ、アハハハハ。そなたも近頃は大そう若返ったようじゃ・・・』
 二、三問答を交わしている中に、数間の爺やもそこへ現れ、私の良人と久しぶりの対面を遂げました。その時の爺やの歓びは又格別、『お二人でこうしてお揃いの所を見ると、まるで元の現世へ戻ったような気が致しまする・・・』そんなこと言ってはなをすするのでした。
 そうする中にも、だれがどう世話して下すったのやら、砂の上には折り畳みの床机が三つ程据え付けられてありました。しかもその中の二つは間近く向き合い、他の一脚は少し下がって背後の方へ・・・。どう見たって私達三人の為に特別に設けてくれたとしか思えない恰好なのでございます。
 『どりァ遠慮なく頂戴致そうか』良人もひどく気を良くしてその一つに腰を降ろしました。
 『こちらへ来てから床机に腰をかけるのはこれが初めてじゃが、中々悪い気持ちは致さんな・・・・』
 然るべく床机に腰を降ろした主従三人は、それからそれへと際限もなく水入らずの昔語りに耽りましたが、何にしろ現世から幽界へかけての長い歳月の間に、積り積もった話の種でございますから、いくら語っても語っても容易に尽きる模様は見えないのでした。その間には随分泣くことも、又笑うこともありましたが、ただ有り難いことに、以前良人と会った時のような、あの現世らしい、変な気持だけは、最早殆ど起こらないまでに心が綺麗になっていました。私は平気で良人の手を握ってもみました。
 『随分軽いお手でございますね』
 『イヤこうカサカサしていてはさっぱりじゃ。こんな張子細工では今更同棲してもはじまるまい』
 私達夫婦の間にはそんな冗談が口をついて出るところまであっさりした気分が湧いていました。爺やの方では一層枯れ切ったもので、ただもう嬉しくて堪らぬと言った面持で、黙って私達の様子を打ち守っているのでした。
 ただ一人良人にとりての禁物は三崎の話でした。あちらに見ゆる遠景が丁度油壺の付近に似ておりますので、うっかり話頭が籠城時代の事に向かいますと、良人の様子が急に沈んで、さも口惜しいと言ったような表情を浮かべるのでした。『これはいけない・・・』私は急いで話を他に逸らしたことでございました。
 困ったのは、この時良人も爺やも中々帰ろうとしないことで、現世で言うなら二人が二、三日私の修行場に滞在するようなことになりました。もっとも、それはただ気持だけの話でございます。こちらには昼も夜もないのですから、現世のようにとても幾日ともはっきり数える訳には行かないのでございます。その辺がどうも話が大変にしにくい点でございまして・・・。
 海の修行場の話はこれで切り上げますが、兎に角この修行場は私にとりて最後の仕上げの場所で、そして私はこの時に神様から修行終了の仰せを頂いたのでございます。同時に現世の方では既に私の為に一つの神社が建立されており、私は間もなくこの修行場からその神社の方へと引き移ることになったのでございます。
 それにつきての経緯は何れ改めてこの次に申し上げることに致しましょう。