自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 かれこれする中に、指導役のお爺さんからは、お宮の普請が、もう大分進行しておるとのお通知がありました。-
 『後十日も経てばいよいよ鎮座祭の運びになる。形こそ小さいが、普請は中々手が込んでいるぞ・・・・』
 そんな風評を耳にすると私としては、これまでの修行場の引越しとは違って、何となく気がかり・・・・幾分輿入れ前の花嫁さんの気持、と言ったようなところがあるのでした。つまり、嬉しいようで、それで何やら心配なところがあるのでございます。
 『お爺さま、鎮座祭とやらの時には、私がそのお宮に入るのでございますか・・・・』
 『いやそれとも少し違う・・・・。現界にお宮が建つ時には、同時に又こちらの世界にもお宮が建ち、そなたとしてもこちらのお宮の方に入るのじゃ。-が、そなたも知る通り現幽は一致、幽界の事は直ちに現界に映るから、実際はどちらとも区別がつけられないことになる・・・・』
 『現界の方では、どんな所にお宮を建てているのでございますか』
 『あそこは何と呼ぶか・・・つまり籠城中にそなたが隠れていた海岸の森蔭じゃ。今でも里人達は、遠い昔の事をよく記憶していて、わざとあの所を選ぶことに致したらしい・・・・』
 『では油ヶ壺の直ぐ南側に当たる、高い崖のある所でございましょう、大木のこんもりと茂った・・・・』
 『その通りじゃ。が、そんなことはこのワシに訊くまでもなく、自分で覗いて見たらよいであろう。現界の方はそなたの方が本職じゃ・・・』
 お爺さんはそんなことを言って、真面目に取り合ってくださいませんので、止むを得ずちょっと統一して、覗いて見ると、果してお宮の所在地は、私の昔の隠れ家のあった所で、四辺の模様はさしてその時分と変わっていないようでした。普請はもう八分通りも進行しており、大工やら、屋根職やらが、何れも忙しそうに立ち働いているのが見えました。
 『お爺さま、やはり昔の隠れ家のあった所でございます。大そう立派なお宮で、私には勿体なうございます』
 『現界のお宮もよく出来ているが、こちらのお宮は一層手が込んでいるぞ。もうとうに出来上がっているから、入る前に一度そなたを案内しておくと致そうか・・・』
 『そうして頂けば何より結構でございますが・・・』
 『ではこれから直ぐに出掛ける・・・』
 相変わらずお爺さんのなさることは早急でございます。
 私達は連れ立ちて海の修行場を後に、波打際の綺麗な白砂を踏んで東へ東へと進みました。右手はのたりのたりといかにも長閑な海原、左手はこんもりと樹木の茂った丘続き、どう見ても三浦の南海岸をもう少し綺麗にしたような景色でございます。ただ海に一艘の漁船もなく、又陸に一軒の人家も見えないのが現世と違っている点で、それが為に何やら全体の景色に夢幻に近い感じを与えました。
 歩いた道程は一里あまりでございましょうか、やがて一つの奥深い入り江を回り、二つ三つの松原を潜りますと、そこは鬱蒼たる森蔭の小じんまりとせる別天地、どうやら昔私が隠れていた浜磯の景色に似て、更に一層理想化したような趣があるのでした。
 ふと気が付いて見ると、向こうの崖を少し削った所に白木造りのお宮が木葉隠れに見えました。大きさは約二間四方、屋根は厚い杉皮葺、前面は石の階段、周囲は濡椽になっておりました。
 『どうじゃ、立派なお宮であろうが・・・。これでそなたの身も漸く固まった訳じゃ。これからは引越し騒ぎもないことになる・・・』
 そう言われるお爺さんのお顔には、多年手がけた教え子の身の降り方のついたのを心から歓ぶと言った、慈愛と安心の色が湛っておりました。私は勿体ないやら、嬉しいやら、それに又遠い地上生活時代の淡い思い出までも打ち混じり、今更何と言うべき言葉もなく、ただ涙ぐんでそこに立ち尽くしたことでございました。