自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

ステッド『あなた方にははっきり腑に落ちぬかも知れぬが、実は地球は我々にとりて最早そう大したものではない。それは我々の魂の育児室であった。ちっぽけな暴風雨、手習草紙式の道徳、子供じみた思想と伝説、等の見習所ではあった。もしも地上に我々の残しておいた愛する者さえなかったら、もしもそこに我々の懐かしき過去の思い出の種子がなかったら、我々は全然地上生活などに頓着はしなかったであろう。
 我々には地上の諸問題がさして重大であるとはドウしても考えられない。我々は、肉の衣装を脱ぎ捨てて、こちらの世界に歩み入ると共に、それで充分の発達を遂げ得たとは決して考えないが、しかし我々はいかなる地上の人間も感ぜぬ位の大なる力、大なる強さを有っている。イヤ有っているのではない。我々はドウやら力そのものであるらしく見える。こちらへ来てみるとその力がちゃんと備わっているのだ。我々はいつになってもそれを失うことがない。我々は老いもせず又疲れもしない。あなた方には幾月幾年に亘りて一の思想の連続を徹底的に遂行することが出来ようとは思えまい。ところが私は今現にそれをやっている。私は少しも眠らない。私は何かある重大なる問題に注意を喚ばるるまで、決して思索を中止することがない。私は色々に岐るる思想の諸系統に向かってドシドシ研究の歩を進めつつある。が、それは少しも苦労にならない。丁度リスが胡桃をかじるような具合に楽しんでやっている。
 地上生活と幽界生活との相違の一つは、こちらで口腹を塞ぐ栄養物を全然必要としないことである。但し精神的の糧は大に必要である。で、もしも精神的の糧が容易に手に入らぬものであるなら、往時の通りに掠奪だの、競争だのが行なわれるかも知れないが、幸にもそんな患は少しもない。
 連綿として絶えざる思想の連続は常に私を楽しませる。何となれば、ある特殊の胡桃を割ることに成功すれば、その核は永久に私の糧となりて、いい知れぬ無形の満足感を満喫せしむるから・・・。
 芸術家などの必要とする無形の糧だって、勿論別に変わりはない。彼等は一般人よりも一層鋭利な、一層精妙なエネルギーを有っていて、それで美術を創造する。美術とは単なる美のみでない。それはやはり生の表現なのである。ただ私などは物の美的表現よりも、寧ろ物それ自身の本体に興味を惹く。火から出る焔よりも、寧ろ火を構成する内面の装置を知りたく思う・・・』(四月十三日)