自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 『自由意志』という言葉は、使用者が異なれば、その意味が異なって来るように見える。一部の人士にとりて、それは出来るだけ自己の特殊の欲望、又は出来心を遂行することであるらしい。又他の一部の人士にとりては、何等かの岐路に立った時に、自己の見地から考えて、最も正当と思われる方向を自由に選ぶことであるらしい。
 言うまでもなく、各人はそれぞれ特殊の人生の行路を辿りつつある。が、一体何者がその選択に当たるのか?これを一言にして尽くせば、肉体と霊魂との総和がそうさせるのである、というより外ないであろう。肉体といい、霊魂といい、その現れは種々雑多であるが、その根元はただ一つである。彼等は長年月の間に徐々として進化を遂げ、以って現在の定形を為すに至ったもので、その中には、一切の遺伝的要素も含まれていれば、又多くの心霊的、精神的の影響も加わっており、有限な人間の心を以ってこれを観れば、殆ど無尽蔵に近い。境遇、友人、仇敵、親族等、一として彼の一生の行路を決める為の、内的要素でないものはない。かるが故に、もしも諸君にして、自己存在の性質を考えたなら、いたずらに自由意志の行使を叫んだところで、結局出来ない相談を持ちかけているに過ぎないことを悟り得るではないか?人間とは単に多くの男女、生きている人達と、死んでいる人達とが、多勢寄ってたかって造り上げた、一の創造物に過ぎないではないか?従って我々は、主としてそれ等の人達の感化影響の犠牲者であり、宿命的に我々の内部に樹植されたる傾向に、大人しく服従すべく余儀なくされているのである。換言すれば、一切の人類は、或る意味に於いては単数であり、他の意味に於いては複数なのである。世界開闢以来の人類の歴史、又人間の性格は、間断なしに増大しつつある、一つの大きな網と思考してよい。そしてこれ等の仕事に対して、一切の責任を有するものは、取りも直さず宇宙の萬有の根源を為している所の神であり、造物主である。
 既に神が唯一の創造者であり、造物主である以上、一個人の性格がいかなる形式をとりて進展するかは、その人間の出生以前から、神には判っている筈である。何となれば一切の建築図案は、赤子が母胎に宿る以前から、神の想像の中に描かれているからである。が、自分の魂をどんな所に造り上げるか?換言すれば汝の魂が人生の苦楽に対して、いかなる反射作用を起こすかは、それは汝の自由意志の範囲に属する。艱難に遭遇してまだまだ奮発するか、それとも意気消沈して淪落(りんらく)の一路を辿るか、それは全然汝の思うがままで、それがとりも直さず、汝の地上生活の重要素となるのである。やがて汝は肉体を既に帰幽し、私の所謂類魂の一員となるのである。が、その時汝の造った魂の鋳型は、汝に続いて地上に生まれんとする類魂中の、若き魂の未来に対して、深刻な影響を与えることになる。
 神は勿論類魂の宇宙生活を監視している。そして彼等の発達に応じて、神は人類生活の将来を計画する。が、大体の輪郭は、最初神の想像の中に描かれたる図案に従うのであって、変更を加える所は、よくよく枝葉の点に過ぎない。
 (評釈)私の所謂宇宙間の連動装置、個人、守護霊、自我の本体等の切っても切れぬ関係が、多くは別の言葉で表現されている。言い回しに多少迂遠な箇所も見えるが、その大体の趣旨には、何人も恐らく首肯しなければなるまいと思う。