自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 自分は帰幽後、漸く第四界(色彩界)までの旅程を続けたに過ぎないが、前にも述べた通り、ここは理想化せる形態の世界である。自分が実際に知っているのは、そこまでの世界で、第五界(光焔界)となれば、深き主観的状態に於いて、辛うじて味わい得るに過ぎない。第五界に於いて、個人的存在が消えてしまうことは確かであるが、しかしその実相は、まだすっかり自分の身に付いてしまったとは請い得ないのである。
 既に述べた通り、各界の中間には一の休養期、所謂冥府(ヘーズ)があり、帰幽者は一界から他界に上昇する毎に、必ず暫時この冥府に留まるのであるが、彼が二度目の冥府生活を終えて第四界に進み入り、そこで自分と同一系統の類魂の生活に混ざるようになると、彼等の前身がすっかり判り、同時に自己の通過し来れる、個人的存在としての経路がよく判って来る。こうなると、彼は孤立した一単位ではなくなり、自己の属する類魂全体の直覚、傾向、及び基本的特質が、悉く自己の薬籠中のものとなってしまう。但しこれでは、まだまだ修行が済んだとは謂われない。彼は百尺竿頭更に一歩を進め、多くの類魂から成立する、『心霊同族』の生活に通暁するようにならねばならない。ここで是非とも、一度天体生活を経験すべき必要が起こり、なので第三次の変形を試みねばならぬ段取りになって来る。その変形こそ取りも直さず、太陽界の意識の象徴たる光焔体である。彼はその姿で、銀河の内部に存在する、一つの恒星の中に潜り入ることになるのである。
 (評釈)いかにも淡々たる叙述なので、うっかりこれを読めば、恐らくその中に含まれたる、肝要な示唆を握み得ないことになるであろう。先ず標題の『日界人(ソーラ・マン)』-これは我々日本民族にとりて、無上の福音であらねばならぬ。先へ行けば分かるが、マイヤースの所謂『日界人』とは、人間霊のことではなく、太陽系所属の自然霊、主として龍神を指しているのである。つまり太陽系に居住する原始霊、日本古典の所謂天津神で、勿論その体は超物質的エーテル体である。
 次にくれぐれも銘記して頂きたいのは、三様の変形である。幽界居住者の形態は決して造り付けではない。普通帰幽者は生前に酷似した、若しくはこれを理想化した姿で働いているが、深い精神統一状態に入った時は、間断なく閃き動く一の光球状-マイヤースの所謂光焔体になるのである。この形態こそ、幽界居住者として取り得る最高の姿である。
 次に読者の注意を喚起したいのは、類魂の共同生活である。我々が各自の守護霊を呼び出して調査を進めてみると、守護霊は決して単なる孤立的存在でなく、守護霊の奥には、更にその守護霊が控えているのみならず、広く同一系統の霊達と自由自在な連絡を執り、緩急に応じて、いくらでも援助を受けていることを発見する。地上の人間でも、自分の天分が何であるか位の見当がつかんでもないが、いよいよそれがはっきりと判るのは、帰幽後に於いて自分の守護霊、並びに同一系統の先輩達(マイヤースの所謂類魂)と、直接交通を開いてからであるらしい。マイヤースが『彼等の前身がすっかり判り、同時に自己の通過し来れる個人的存在としての経路がよく判って来る・・・』と言っているのは、誠に味わうべき言葉である。
 更にマイヤースが『心霊同族(サイキックファミリー)』を説いているのは、一層歓喜に値する。彼の所謂心霊同属とは同一理想、同一使命の達成に尽瘁(じんすい)する類魂団のことであろうが、これは実に日本精神の神髄を掴んでいると謂わねばならぬ。唯物思想に捕えられている人達は、『天孫民族』を以って、単に地上の日本民族のことと考えているが、これは実に皮相の観察である。天孫民族とは天孫邇々藝命を中心として、大使命の遂行に当たる有力なる自然霊界、並びにその機関たる地上の人類の総括体なのである。日本国民の心霊常識がそこまで進まぬ限り、日本国土内にいかがわしき思想団体、信仰団体の発生は到底免れそうもないと思う。