自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 太陽原子は、勿論地球原子とは全くその形式を異にし、殆ど思議すべからざる速度を以って、且つ消え、且つ現れつつある。で、帰幽者が深き入神状態に於いて、第三次の変形を遂げ、所謂光焔体を取ることになれば、彼は地球のそれとは全然異なれるリズムの中に潜り入り、従来と全然別箇の行動を取ることになるのである。
 彼が見学の為に選べる恒星が何であろうとも、そこに見出される原子の構造は、到底地上の物理学者の想像に余りあるものがある。自分は専門家でないから、詳しい事は言い得ないが、大体恒星上の原子は、これを二種類に分類することが出来る。即ち甲は光状原子、乙は液状原子である。何れも地球の原子に比して、遙かに迅速に分解し易いが、しかし恒星の中心部は液状原子である。何れも地球の原子に比して、遙かに迅速に分解し易いが、しかし恒星の中心部は液状原子から成り、それは周囲の光状原子に比して遙かに鈍重である。とは言うものの、仮に人間の肉眼が、恒星の中心部を目撃し得るとしたら、それは猛烈に泡立ち、又煮えくり返る、一大焦熱地獄の観を呈しているであろう。
 が、恒星の恒星につきての説明は、暫くこの辺で打ち切り、これから天界旅行者の体験を物語ることにしよう。前に述べた通り、その後彼の取る形態は、光輝性の原子から成立する一の光焔体である。彼は幽界に於ける修行によりて、既にいかにして自己の姿を変え、又いかにしてこれを統御すべきかの秘法を心得ているから、恒星の世界に歩み入っても、さして戸惑いはしない。彼は智力、想像力の限りを尽くして、首尾よく超形態的形態をとりて、未知の新世界の探検に当たり、必要に応じて自由自在にその姿を変え、自分を取り巻く電光石火式旋律と歩調を合わせる。その時の気持は、平凡低調な人間界の言葉ではとても表現すべくもない。
 勿論、そうする時の彼は、自我意識の全部を携えてはいない。その粗雑な部分は悉く後に振り落とされ、ただ彼の高級意識のみが、恒星界の新経験に当たるのである。
 この際読者としても、すべからくその心の中から火焔に対する恐怖心などを掃討し、あくまで雄大にして、壮麗なる心境を開拓して、自分の説く所を味読して頂きたい。火を単なる火と考えることなく、これを人間意識よりは、遙かに精妙なる高級意識の表現であると思考してもらいたい。銀河の世界には、幾百萬とも知れぬ多くの星晨があり、更に眼を天の一方に転ずれば、そこにも又赤、白、青等様々の光を放つ天体の海がある。そしてそれ等が悉く何等かの生物、何等かの意識的存在の棲家なのである。読者よ、願わくば極度まで想像の翼を広げ、何事も、又何物も、いたずらに不可能視し、又いたずらに不可思議することを止めよ。あくまで発達程度を異にせる無数の生命を載せ、あくまで整然たる秩序を厳守して、無辺際の空間を巡る天体の一大行進曲-これが実に宇宙の実相なのである。
 我等の属する太陽系の遊星上に於いてさえ、人類の数は比較的に少数で、そこに見出される生命の大部分は、所謂自然霊なのである。いわんや他の諸恒星にありては、その構成要素が異なる如く、その居住者の性情形態が、地球とは全く選を異にしている。恒星上の時空の観念は、地球上の時空の観念とは天地懸絶する。従って恒星人の運動の迅さ、又その形態の急変化は、到底地上人の窺知を許さないものがある。自分の見学せる恒星の一つは狼星であるが、狼星人の体躯は、我々の眼には殆ど体躯とは称し難きまでに稀薄であり、又非物質的なのである。現在の狼星は、太陽の幾倍かの烈しさで盛んに燃焼しつつある。こうした環境に安住する狼星人の体躯が、いかに超現実的であるべきかは、蓋し言を待たないであろう。
 ここで我々は、何は措いても、先ず狼星その他諸恒星の構成原子につきての概念を有たねばならない。それなしには、とても自然体の性質は会得されそうもない。卑見によれば、各天体を通じて三種の原子が存在するように思う。即ち-
 (一)物質原子-これが地球などの構成要素。
 (二)光状原子-これが太陽の光と熱との構成要素で、自然霊の体躯も又これで造られる。
 (三)液状原子-これが太陽その他恒星の中核を恒星する要素で、光状原子に比すれば遙かに鈍重である。
 大体に於いていえば、恒星上の生物の歴史は、地球上の生物のそれと酷似し、自然霊も又人類同様、緩慢なる進化の道程を辿るのである。自然霊がいつも発達の同一水平準線に停止するものと考えることは誤謬である。無論自然霊は、自分自身の内に驚くべき潜勢力を包蔵している。が、その潜勢力は長年月の間に漸次発達顕現し、最後に極めて複雑、極めて鋭利なる生活機能を発揮することになるのである。完成された大自然霊の威力は、とても地上の人間の窺知し得る限りでない。が、自然霊の発生を支配する根本原則は、地上の人類を支配する一般原則と、そこに何の相違もない。
 恒星の母体は勿論星雲である。天地開闢の初期に於いて、恒星は一つ一つ火の母体から離脱し、爾後空間を通じて、独自の螺旋運動を営むことになったのであるが、当初の爆音並に光焔のいかに猛烈惨烈を極めたかは、到底ここに想像の限りでない。無論そうした未完成期の恒星には、まだ自然霊は発生していない。間断なく爆発し、間断なく変化する原子からは、到底個性を具えた意識的存在が発生し得ないのである。が、最初の爆発が漸く鎮静に帰し、燃ゆるべきものは燃え尽し、散るべきものは散り尽くしてしまうと、ここに初めて生物の発生が可能となって来た。これは地球をはじめ、何れの天体を通じても誤らざる一般原則である。無論各天体の現在の状態とても、決して永久不変なものでも何でもない。流転は萬有の通則であり、老衰は天体といえども決して免れない。一つの恒星から光状原子が消滅することになれば、自然霊も同時にその世界から体を没してしまう。何となれば、彼等は自己の表現機関を構成すべき要素を失うからである。
 現在とても無限の空間には、無生命の天体が幾つともなく存在し、殆ど有るか無きかの薄光を放ちつつ、果敢なき行進を続けているのである。
 (評釈)幽界居住者が深き入神状態に於いて、その高等意識を以って、辛うじて経験し得たところを、地上の人間に放送しようとするのであるから、随分無理な注文たるを免れない。マイヤースが、何を我等に告げんとするかはよく会得される。そこには相当貴重なる暗示もないではない。が、遂にいかんともし難きは、この種の文字に免れ難き一種の夢幻感、抽象感である。訳し終わりて覚えず長大息を禁じ得ない。これを読みてマイヤースの心境を汲み取るものが、現在の日本に果たして幾人あるであろうか。