自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 新樹は一体幽界に於いてどんな修行をしているか?という事は最初から彼の父が訊こうと努めた点でした。
 昭和四年七月二十五日第十回目の招霊の際の記録を紐解いて見ると彼の父は彼の幽界に於ける指導者について質問していました。
問「汝にはやはり生前の守護霊が付いていて、その方に指導してもらっているのか?」
答「守護霊の事をいうと僕何だか悲しくなるからその話を止めてください・・・・。現在僕を指導してくださるのは、何れもこちらへ来てから付けられたもので、みんなで五人おります。その中で一番僕がお世話になるのは一人のお爺さんです・・・」
問「その五人の指導者達の姓名は?」
答「めいめい受持ちがあって、想えば直ぐ答えてくださるから名前などは要らないのです・・・」
問「その五人の受持ちは?」
答「難しいなあドーも・・・。まだ僕には答えられない。兎に角僕が何かの問題を訊きたいと思うと、五人の中の誰かが出て来て教えてくださる」
問「幽界で汝の案内をしてくれる人もあるのか?」
答「ありますよ。案内してくださるのはお爺さんの次位の人らしい・・・」
問「現界と通信する時は誰が世話してくれるのか?」
答「いつもお爺さんです」
答「僕慣れていないので、細かい話はまだ出来ない。よく先の事・・・神界の事などを教えられます」
 同年八月三日第十五回目の招霊の際には書物の事が話題になっていました。
問「汝が書物を読んでいる姿が昨日母の霊眼に映じたが、実際そんな事があったのか?」
答「読んでいました。あれは霊界の事を書いてある書物です。僕が書物を読もうと思うと、いつの間にか書物が現れて来るので・・・」
問「その書物の用語は?」
答「あの時のは英語で書いてありました。ちょっと難しい事も書いてあるが、しかし生前英語の書物を読んだ時の気分と現在の気分とを比較してみると、現在の方がよほど判りよい。じっと見つめていると自然に判って来ます」
問「書物は何冊も読んだか?」
答「ソー何冊も読みはしません。事によると幽界の書物は一冊しかないのかも知れません。こちらで調べようと思うことが、何でも皆それに書いてあるらしく思われますよ。つまり幽界の書物というのは、思想そのものの具象化で、読む人の力量次第で、深くもなれば又浅くもなり、又求むる人の注文次第で、甲の問題も乙の問題もその一冊で解決されると言った形です。僕にはどうもそうらしく感じます」
問「その書物の著者は誰か?又それに標題が付いていたか?」
答「著者も標題もありませんよ」
問「汝が読んだものをこちらへ放送してくれないか」
答「お父さん、現在の僕にはまだとてもそんな事は出来ませんよ。こんな通信の仕方では僕の思っていること、感じていることの十分の一も伝えられはしませんもの・・・」
問「今汝は書物がいつの間にか現れると言ったが、一体誰がそんな事をしてくれるのだろう?ただで書物が現れる筈はないと思うが・・・」
答「それはそうでしょう。自分一人でやっているつもりでも、案外蔭から神さん達がお世話をしてくだすっておられますからね。書物などもやはり指導者のお爺さんが寄越してくれたのでしょう、-きっとそうです」
 亡児は又修行の一端として、時々幽界の諸方面の見学などもやっているようですが、その内容をここに併記するのは混雑を来たす虞(おそれ)があるので差し控えます。
 兎に角、幽界の修行と言ってもその向かう方面は中々複雑なものであるらしく、とても簡単に片付けることは出来ませんが、しかし幽界の修行の中心は、煎じ詰めればこれを精神統一の一語に帰し得るようです。
 精神統一・・・これは現世生活に於いても何より大切な修行で、その人の真価は大体これで決せられるようであります。五感の刺激のまにまに、気分の向こうまにまに、あちらの花に憧れ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとした、落ち着いたところが無かった日には、五、七十年の短い一生はただ一場の夢と消え失せてしまいます。人間界の気の利いた仕事で何か精神統一の結果でないものがありましょう。
 が、物質的現世では統一三昧に耽らずとも、ドーやらその日その日を暮らせます。ところが、一旦肉体を棄てて幽界の住民となりますと、全ての基礎を精神統一の上に置かなければ到底収まりがつかぬようです。
 新たに帰幽したものが、通例何より苦しめられるのは、現世の執着であり、煩悩であり、それが心の闇となりて一寸先も判らないようであります。地上の闇ならば、これを照らすべき電燈も、又ガス燈もありますが、帰幽者の心の闇を照らすべき燈火(ともしび)は一つもありません。心それ自身が明るくなるより外に幽界生活を楽しく明るくすべき何物もないのであります。
 そこで精神統一の修行が何より大切になるのであります。一切の雑念妄念を払い除け、じっと内面の世界に潜り入り、表面にこびりついた汚れと垢とから離脱すべく一心不乱に努力する。それを繰り返し繰り返しやっている中に、段々四辺が明るくなり、段々幽界生活が凌ぎ易いものになる。これより外に絶対に幽界で生きる途はないようです。
 昭和五年二月の十六日、亡児はそれに関して次のように述べています。-
「僕が最初こちらで自覚した時に、指導役のお爺さんから真っ先に教えられたのは、精神統一の必要なることでした。それをやらなければ、いつまで経っても決して上へは進めないぞ!-そう言われましたので、僕は引き続いてそれに力を尽くしています。その気持ですか・・・僕、生きている時一向統一の稽古などをしなかったので、詳しい比較を申し上げることは出来ませんが、一口に言うと何も思わない状態です。いくらか眠っているのと似ていますが、ずっと奥の奥の方で自覚しているようなのが少々睡眠とは違いますネ。僕なんかは現在こちらでそうしている時の方が遙かに多いです。最初はそうしている際にお父さんから呼ばれると、丁度寝ぼけている時に呼ばれたように、びっくりしたものですが、近頃ではモーそんな事はありません。お父さんが僕の事を想ってくだされば、それは直ぐこちらに感じます。それだけ、幾らか進歩したのでしょうかしら・・・。この間お母さんの守護霊さんに会った時、あなたもはやり最初は現世の事が思い切れないでお困りでしたか、と訊いてみました。すると守護霊さんもやはりそうだったそうで、そんな場合には、これはいけないと自分で自分を叱り付け、精神を統一して、神さまにお願いするのだと教えてくれました。守護霊さんは閑静な山で精神統一の修行を積まれたそうですが、僕はやはり自分の部屋が一番良いです。段々稽古したお蔭で近頃僕は執着を払い除けることが少しは上手になりました。もしひょっと雑念が兆せば、その瞬間、一生懸命になって先ず神さんにお願いします。すると忽ちパラッとした良い気分になります。又こちらでは精神統一を、ただ執着や煩悩を払うことにのみ使うのではありません。僕達は常に統一の状態で仕事にかかるのです。通信、調査、読書、訪問・・・何一つとして統一の産物でないものはありません。統一がよく出来る出来ないで、僕達の幽界に於ける相場が決まります・・」
 以上はやっとの思いで幽界生活に慣れかけた一青年の告白として、幼稚な点が多いのは致し方がありませんが、幾分参考に資すべき箇所がないでもないように感じられます。
       
       
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