自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 前回の通信を受け取ってから間もなき昭和五年一月四日、午前九時頃に、彼の父は又亡児を呼び出して訊ねました。-
 「あれから汝はお母さんの守護霊を訪問したか?」
 亡児は頗る元気良く答えました。--
 「ええ早速訪問しました。つまりいつかの約束を実行した訳なのです」
 そう言って彼はポツリポツリその際の状況を物語るのでした。--
 「この訪問については、僕は無論前以て指導役のお爺さんの了解を求めておきました。お爺さんは、それは結構だと言って、大変喜んでくれました。
 僕は現世に居た時のようにやはり洋服を着て出掛けました。元から僕は他を訪問する時にはちゃんとした風をして行くのが好きで、その心持はこちらへ来たって少しも変わりません。ナニその時の僕の姿ですか・・・・では早速お母さんの霊眼にお目にかけます・・・・。
 後で彼の母の物語るところによれば、生前愛用の渋味のある茶っぽい洋服を一着に及び、細いステッキを携えた新樹の身軽な扮装が、鮮明に眼裏に映ったということです。
 亡児の物語はなおびびとして続きました。-
 さて先方へ着いてみると、無論守護霊さんは歓んで僕を迎えてくださいました。
 「まァあなたの今日の御様子はすっかりこの間とは違いますね」
 そう言って、物珍しそうに僕の洋服姿に見入っておられるのでした。二十世紀の若い洋服青年と、足利末期の上﨟姿の中年の婦人との取り合わせなのですが、よもやこんな芸当が出来ようとは、僕生前ちっとも想像しておりませんでした・・・・。
 「私はこんな粗末な、狭い場所に居りますので」と守護霊さんはどこまでも同情深く「さぞあなたは窮屈で面白くないでしょう。どこか他所へお連れしましょう」
 「イヤ一ぺん守護霊さんの住んでおられる場所を見せて頂きます」と僕が申しました。「窮屈な位はちっとも構いません。それが済んでから何所かへ案内して頂きましょう・・・・」
 先日守護霊さんのお言葉にもあった通り、あの方はやはりお宮に住んでおられるのですね。場所は海岸の非常に閑静な・・・・イヤむしろ閑静を通り越して物寂しい位の所で、屋根は銅葺きの、あまり大きくない綺麗なお宮です。「これが守護霊さんの何百年かに亘る長い長い歳月の間静かに静まっておられるお宮か・・・・」と思うと僕は何とも言われぬ厳粛な気分に打たれました。帽子を脱いで扉の内部へ入ってみると、一面に板の間になっていて、奥の正面の所に神さんがお祀りしてあるばかり、家具だの、什器だのと言ったようなものは何一つも見当たらない、誠にさっぱりしたものでした。「こんな所で修行三昧に浸っているから守護霊さんは霊能が優れているのだ・・・」僕はつくづくそう感心しました。これというのも皆その人の性格から来るのでしょう。僕なんか、あんな生活はとても御免だ・・・。
 守護霊さんは何のもてなしも出来ないで困ると仰って、大変に気を揉まれました。
守「何所へお連れしましょうね?あなたはどんな場所がお好きです?」
僕「場所なんか何所だってちっとも構やしません。それよりか僕ゆっくり守護霊さんからお話を伺いたいです」
守「そうですか。ではこの上のお山は大変風景がよい所ですから、そこへお連れしましょう」
 僕達は早速上の山へ行きましたが、辺りは樹木鬱蒼と生え茂り、一方にチョロチョロした渓流があって、大きな巌(いわお)が程よくあしらわれ、いかにも絶勝の地ではありましたが、しかし僕にはそんな場所は何やら寂し過ぎるように感じました。
僕「守護霊さん、あなたはここで修行をされたのですか?」
守「自分はドーいうものかこんな寂しい場所が好きで、修行は大概ここへ来てやりました。あの水辺の大きな巌の蔭、あそこが私の一番気に入った所です」
 守護霊さんは、それが当然だという風に仰るのですが、どうしてそんな気持になれるのか、僕には寧ろ不思議な位でした。「何だってこんな陰気な所で修行されるのだろう・・・・イヤだナ」-僕は実際そう思いました。しかし好きも嫌いも、皆その人の性質の反映ですから、こればかりは致し方がありませんね。地上の生活でもそうした趣がありますが、こちらへ来るとそれが一層顕著なようで、善悪に係わらず、めいめい自分の落ち着く場所に落ち着くより外に途がないようです。
 僕達の間には自然修行についての談話も出ました。-
守「私の修行と言ったらつまり主に統一をやるのですが、あなたもやっぱりそうでしょう」
僕「無論そうです。が、僕なんか、まだまだ駄目です。ドーも雑念妄想が何時の間にか、むらむらと兆して来て弱ってしまいます。これからみっしり努力するつもりで・・・」
守「あなたは何所で修行をなさいます?」
僕「僕はやはり自分の部屋でやるのが一番気持が良いです。僕こんな陰気な山の中などで座るのはイヤです・・・」
 構わないと思って、僕そう言ってやりますと、守護霊さんは微笑を浮かべて「こんな寂しい場所へ連れて来て、本当にお気の毒です」と言われました・・・。
 精神統一の話に続いて、僕は再び守護霊さんの身の上話を聴こうとしましたが、やはり駄目でした。「大変年数も経っているので記憶が薄らいでしまった・・・・」そんな事を言われるのです。ドーも当年の事を思い出すことが多少苦痛なのでしょうね。お母さんの守護霊さんの経歴は、一つお父さんから直接に訊いてください。僕の手には少し負えません・・・。
 続いて守護霊さんは相変わらず、僕に向かって色々の事を訊かれました。僕が幼少の時の事、学校時代の事、それから亡くなる時には何所に居たかというような事・・・・。僕仕方がないから大体話しておきました。詳しい事は守護霊さんから聴いてもらいます。やはり僕のことを自分の子供のように思うらしく、色々世話を焼いてくれます。僕の方でも、お母さんとも少し違うところがあるが、いくらかそんなような気持がして、自然無遠慮な言葉もききます。「そんなに僕の生前の事をお聞きになりたいなら何れゆっくりお話致しましょう。材料なんか沢山ある・・・」僕そう気焔を吐いておきました。
 兎に角お母さんの守護霊は、亡くなってから相当長い歳月を閲(けみ)しているので、その修行も、我々と違って大分出来ている様子に見受けられます。優しい中に、中々しっかりした所のある方です。体はどちらかといえば痩すぎで、すんなりしています・・・・」
 亡児の報告は大体右のようなものでした。例によりてそれと入れ代わりに続いて彼の母の守護霊に出てもらい、亡児との会見の顛末を物語らせました。それはこうです。-
 「この間は子供が訪ねて来て大変に失礼しました。私の住居はあんな粗末な所でございますから、本当にお気の毒に思いました。でも大そうさばけた子供で、是非私の住居を見たいと申しますから、内部へ案内しますと、「大分僕達とは勝手が違う・・・・」と言ってしきりに四辺を見回していました・・・。
 私は別にお宮に住みたいと思った訳ではないのですが、ドーいうものかお宮という事になってしまいました。こんな事は自分の一存にのみも行かないところがあるのです・・・・。
 あの子の服装は、この前会った時とは、すっかり変わっているので、びっくり致しました。あれが只今の時代の服装なのですね。中々大きな男でございますね・・・。
 それからあなたも御存知のあの裏の山へ案内して、そこで色々物語を致しました。その時子供はこんな面白いことを申しました。「この山は大変良い景色ではあるが、しかし現界の山とはどこやら気分が違う。達者な時に随分山登りもやったが、この山で感じるような気持にはただの一度もならなかった。ここに立っていると自然と気がシーンと沈んでしまう・・・」
そう言って大変感心しているのです。やはり私の修行するように出来ている山なのですからあんな陽気な気分の子供には寂しくて仕方がないのでございましょうね。兎に角幽界へ来てからは、めいめい自分に適した境涯に落ち着くより外に、致し方がないものと思われます。
 それから、私はあの児の幼少の時代からの事を色々と訊ねました。あなた方には別に珍しくも何ともない事柄でございましょうが、私には非常に興味の深い物語でした。かいつまんで筋道だけを申しますと、あの子の申したことは、大体こういうようなことでございます。-
「僕は幼少の時から体が丈夫で、かなりいたずら坊主でもあった。こんな事を言うと他人が笑うかも知れないが、学問もよく出来た一方で、大変に父母にも可愛がられた。僕も一生懸命勉強し、次第に上級の学校に入り、二十二歳の時に長崎の高商を卒業した。守護霊さんとは時代が違うからお判りになるまいが、卒業後には直ちに会社というものに入った。暫くしてから、その会社から遠方へやられ、そこで亡くなった。立派な人になろうと思って大いに気張って働いたものだが、思いも掛けない病気の為にこんなことになり、両親にも気の毒で堪らない・・・・」
 こんな話をしている中に段々悲しそうな様子が見えましたから、これはいけないと気付きまして私は早速話頭を変えました。-
問「あなたは只今遠い所へやられたと言われましたが、それは何という所です?」
答「大連という所です」
問「その大連という所はどんな所です?」
答「大変に賑やかな立派な市街で、家屋なども内地よりは却って上等です」
問「そこであなたはどんな仕事をしていたのですか?」
答「無論会社の仕事をしていました。そこでも大変皆さんから可愛がられ、僕は非常にそこの勤めが好きでした。又僕は色々の事に趣味が多いので、どこへ行っても退屈ということを知りませんでした。中でも僕が好きなのは、音楽と絵書で、大連で描いた絵などもかなり沢山あります・・・」
 良い按配にこんな話をしている中に、子供は再び元の快活な状態に戻りました。一体にあの子は陽気な資質なのでございますね。あんな陽気な子が、むざむざと夭死(ようし)したというのは、本当に可哀相だと思います・・・。
 でも、夭死したので、それがこちらで発奮する種子になるのでございます。「このまま空しく引っ込んでしまうのはあまりに残念だ。これから大いに修行して幽明交通の途を開き、大いに父を助けて御国の為に尽くそう・・・」口には出しませんが、あの子の思い詰めていることはよく私に感じます。これから後も、私は努めてあの子に会うことに致しましょう・・・」
 この日彼の母の守護霊が私に物語ったところは大体右の通りでした。嬉しいのは、両者の間に、次第に母子の関係らしい、親しみの情が加わりつつあることで、彼の父としては、そうした傾向を今後一層助長させたく切望している次第であります。