自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 問「あなたが自殺されて、そちらの世界に目覚められる前後の状況を、成るべく詳しくお話して頂きたい。この学の研究の為にも、又心ある日本国民の考慮を促す上からも、これは甚だ大切なる資料と考えられますのです・・・」
 答「それには色々の事情が・・・(一語一句ポツリポツリと考えた句調で)自分は、先帝陸下に対し承りて、相済まぬと思うことも数々あり、-又二人の子供にも別れてしまい、しかも自分は現世に生き永らえていても、大して国家の御役に立たない老体となりましたので、一-陛下の崩御を伺うと同時に、すっかり覚悟を決めましたが、-さてドウいう風にしたらよいか、それには色々と苦心を重ねました。まだ中々病気が出るような模様もない体であり、-いかなる方法を以ってこの世を去ろうか、その事はよくよく考え抜きました。-しかし日本帝国の軍人である以上、潔く自刃して相果てるのが本望であろうと、遂にそう覚悟を決めました。-一旦覚悟を決めた上は、後は非常に気持がさっぱりしたもので、何の事はない、ただ一途に、あの世で先帝陛下にお目にかかり、又蔭ながら日本国を護らねばならぬと、そればかりを考えるようになりました。自分の覚悟は詳しく静子にも話しました。すると静子の決心も自分と全く同一で、少しも後に生き残ろうという考えはなく、それでは私も御一緒にと、立派な決心をしてくれました。-二人の子供を亡くしているので、世の中が厭になっていたせいもありましょう・・・。
 さて自刃の時期はいつにしたものかと、色々考えましたが、陛下の御大葬を御見送りした上でなければ、早まった事になりますので、お見送りをしてからという事に決めました・・・。
 お見送りは自分達の住宅で致しました。それから後の事は、-いかに覚悟はしていたというものの、それはちょっとドウも、ワシには話し兼ねる・・・。
 ワシは自刃するまでの事はよく知っているが、その後の事は、暫く何の記憶も有しておりません。ある期間、ワシは全然何等の自覚もなしに過ごしました・・・。
 やや正気付くようになってからも、何やら四辺が暗く、頭脳も朦朧としていて、依然取り留めたことは覚えていません。その中に、誰ともなくワシの名を呼ぶものがあったので、はッと眼が覚めました。四辺はまだ少し薄暗いが、気分は非常に爽快である。ワシはその時初めて、自刃してこんな所に来たのかしら、と気が付きました。これで、先帝陛下にも、お目にかかれるであろうと思うと、心の中は嬉しさに充ちました。-が、何を言うにもその当座は、ともすれば夢うつつの境にさ迷い勝ちで、ただジッと静かにしていた方が楽でありました・・・」
 問「誰ともなくあなたのお名を呼んだと言われましたが、それはどんなお方でございましたか?」
 答「それは装束をつけた立派な方で、その方がワシを呼び起こしてくれました。-ワシは自分の衣装でもあるかと思うて、よく見ましたが、別に友達でもなく、又年齢も少しお若い方なので、これは神さんであろう、と気が付きました。誰でも死んでこの世界に入ると、必ず神さんが来てお世話をしてくださるものじゃそうで、その後の自分が、何かこうして欲しいと思うと、直ぐにその願いが先方に届いて、良いようにしてくださるのじゃ・・・」
 問「そのお方はあなたの本来の御守護霊でありますか?それとも、帰幽後一時あなたのお世話をなさる指導者の方でありますか?」
 答「さァそこのところは、まだよくワシにも判りません。何れよく取り調べた上で御返答致しましょう。万一、間違ったことをお答すると、世の中を誤りますのでナ・・・」
 問「あなたはその後、神として祀られておられますが、無論現界からの祈願は、そちらに届きましょうナ?」
 答「自分は見らるる通り、つまらない人間であったに係わらず、国民挙げて、自分を神に祀ってくだされ、自分としては、ひたすら恐懼(きょうく)している次第じゃが、神々の御守護により、及ばずながら、護国の神として大いに働く覚悟でおります。但し神社に祀られていると言っても、ワシが常に神社にいる訳ではない。神社に参拝者があれば、そちらの祈願が、よくこちらに通ずるだけのものであります。有り難い事には、自分に対して国家守護の祈願をしてくださる方が、近頃段々多い・・・」
 問「あなたには、明治大帝の御後を慕われて、自刃されたのでありますが、その事について差し支えない限り、そちらの御模様をお漏らしくださいませんでしょうか?」
 答「畏れ多い事でありますが、-先帝陛下には、御崩御以来、まだ安らかにお眠り遊ばされてお出でにように、あの装束を召された方から申し聞かされております。それで、自分は常に、陛下の御霊のお側近くには伺候致しますが、折角御休みの砌(せい)を、我々風情のものが、不躾(ぶしつけ)にお言葉をかけ参らせることも、余りに畏れ多い次第と考え、成るべく差し支えている次第で・・・。全てこちらの模様は、現世で考えていたところとは、いささか趣を異にしているところがあるものじゃ・・・」
 問「静子夫人、又戦死された勝典、保典のお二人には、そちらで、既にお会いになられましたか?」
 答「会ったという訳ではないが、静子とは音信を致しております。あれはワシよりは少し遅れて眼が覚めた模様で、こちらで思うことも、又あちらで考えることも、皆互いによく通じます。女性のことだから、やはり子供の事など思っているようで・・・。二人の子供達は、まだ充分に眼が覚めておらんと見えまして、これまでに一向通信をしておりません・・・」
 問「あなたはお墓とお宮と、両方をお持ちになっておられる方であるから、是非お伺いしたいと思いますが、お宮とお墓とは、何所がドウ違いますか?これは社会風教の上に、重大な関係がありますから、とくと御勘考の上にて御返答を願いたいと思います」
 答「墓と宮とは、そりァ大分訳が違います。-が、どの点が違うと言われると、ワシも少々返答に困る・・・。次回までによく考えておくことにしましょう。-今日はこれだけにしておいてもらいたい」
 その日の問答は、大体これで終わりました。この問答の間、新樹は乃木さんと私との中間に立ちて、非常によく仲介に努め、乃木さんの言葉を取り次ぐ時などは、ある程度まで、乃木さんの風格を彷彿せしめる程、緊張し切っていました。