自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 「今日はかねて約束をしておいた、キリスト教徒の話を聞くことにしようかな・・・」
 ある日私は新樹を呼び出して、そう話しかけました。
 「承知しました。と新樹は甚だ機嫌良く、「いや、あの日の僕の応接間は大繁盛でした。日蓮信者の菊池老人、既成宗教にはまるで関わりのない僕、そこへ一人のキリスト信者が加わったのですから、ちょっと一種の宗教座談会みたいな感がありました。お蔭で、僕も大変学問しました・・・」
 そんなことを前置きしながら新樹は、割合に詳しくその折の状況を報告しました。それはざっと次のようなものでした。

 「御免くださいませ」
 そう言って、玄関に訪れたのは、痩せている、きりっとした男性式の婦人でした。年齢はざっと三十位でしょう。僕は直ちにこの婦人を応接間に導き入れ、菊池さんと一緒になって、大いに歓迎の意を表しました。
 この婦人は、大変に交際慣れた人で、すらすらと初対面の挨拶を述べましたが、ただ姓名だけは、僕が訊いても、中々名乗ろうとしませんでした。仕方がないから、僕こう言ってやりました-
 「こちらの世界では、或いは姓名の必要がないかも知れませんが、僕は父に頼まれて、一切の状況を通信する責任があるのですから、せめて苗字だけでも名乗って下さい。単にある一人の婦人と言っただけでは、物足りなくて仕方がないのです・・・」
 「まあ左様でございますか」と婦人は微笑して、「格別名乗る程の人間ではないので、控えておりましたが、私は実は桜林と申すものでございます。生前は東京に住んでおりまして、今から約十年前に死にました。夫も、一人の子供も、まだ現世に残っております」
 こんなことを語り合っている中に、部屋の空気は次第に和やかになりました。それにしても、地上生活中に一面識もなかった人間が、こちらの世界で、一つの卓子を囲んで話し込んでいるのですから、少々勝手が違い、随分妙だなあと思わぬでもなかったです」
 話題はやがて信仰問題に向けられました。
 「あなたは、熱心なキリスト信者だと承りましたが」と僕が切り出しました。「ついては、あなたの死後の体験を率直にお話して頂けますまいか。僕などは、何の予備知識もなしに、突然こちらの世界に引越し、従って、最初は随分戸惑いました。そうかと言って、既成宗教も随分嘘と方便が多過ぎるようで、却って帰幽者を迷わすような点がありはせぬかと考えられます。どうせ、お互いに死んだ人間ですから、この際一つ思い切って、利害の打算や、好き嫌いの打算を棄てて、赤裸々の事実を、現世の人達に放送してやろうではありませんか。幸い僕の母が、不完全ながら、僕の通信を受け取ってくれますから、その点はすこぶる好都合です。もしもご遺族に何か言ってやりたいことでもお有りなら、遠慮なく仰ってください。及ばずながら僕がお取次ぎします・・・」
 「まあ、あなたはお若いのに、よくそんなことがお出来でございますこと-いずれよく考えておきまして、お頼みすることもございましょう-仰せの通り、私共は堅いキリスト教の信者でございまして、殊に病気にかかってからは、一層真剣にイエス様の御手にすがりました。私のような罪深い者が、大した心の乱れもなく、安らかに天国に入らせて頂きましたのは、まったくこの有り難い信仰のお蔭でございます。実は私は在世中から、幾度も幾度も神様のお姿を拝ませて頂きました。一心にお祈りしておりますと、夢とも現ともつかず、いつも神様の御姿が、はっきりと眼に映るのでございまして、その時の歓びは、とても筆にも口にも尽くせませぬ。そんな時には、私の肉体は病床に横たわりながら、私の魂は既に天国に上っているのでございました・・・」
 「成る程」と菊池さんは心から感服して、「キリスト教も、中々結構な教えでございますな。臨終を安らかにすることにかけて、たしかに仏教に劣りませんな・・・イヤ事によると、却ってキリスト教の方が優っているかも知れません・・・・それはそうと、あなた様の現在の御境遇は、どんな按配でございますか?生前から、既に神様のお姿を拝んだ位ですから只今では、さぞご立派なことでございましょう・・・」
 「ところが、こちらへ来てみると、中々そうでないから、煩悶しているのでございます。私が人事不省に陥っておりましたのは、どれ程の期間か、自分には見当もとれませんでしたが、兎に角私は誰かに揺り起こされて、びっくりして眼を開けたのでございます。四辺は夕闇の迫ったような薄暗い所で、詳しいことは少しも判りませんが、ただ私の枕元に立っている一人の天使の姿だけは、不思議にくっきりと浮かんでおります。「ハテここはどこかしら・・・」-そう私が心にいぶかりますと、先方は早くもこちらの胸中を察したらしく、「そなたは最早現世の人ではない。自分はイエス様から言いつけられて、これから、そなたの指導に当たるものじゃ・・・」と言われました。かねがね死ぬる覚悟は、出来ていた私でございますから、その時の私の心は、悲しみよりも、寧ろ歓びと希望とに充ちていました。私は言いました、「天使様、どうぞ早く私を神様のお側にお連れ下さいませ。私は穢れた現世などに、何の未練もありませぬ。私は早く神様のお側で、御用を勤めたいのでございます」-すると天使は、いとど厳かなお声で、「そなたの醜い身をもっては、まだ神のお側には行かれぬ。現在のそなたに大切なことは、心身の浄化じゃ。それが出来なければ、一歩も上に進めぬ・・・」と仰られるのでした。これが実に私がこちらの世界で体験した、最初の失望でございました。イエス様におすがりしさえすれば、直ぐにも神様の御許へ行かれるように教えられていたことが、嘘だったのでございます。私の境遇は天国どころか、暗くて、寂しくて、どうひいき眼に見ましても、理想とは遠い遠いものなので、それからの私は、随分煩悶致しました。のみならず、一旦心に疑いが生じると同時に、後に残した夫のこと、子供のことなどが、むらむらと私の全身を占領して、居ても起ってもいられなくなったのでございます。つまり私の信仰は、死ぬるまでが天国で、後はむしろ地獄に近かったのでございました。私を指導してくださる天使様も、こう言われました。「そなたは煩悶するだけ煩悶し、迷うだけ迷うがよいであろう。そうする中に、心の眼が次第に開けて来る・・・」-最初は随分無慈悲なお言葉と、怨めしく思いましたが、しかしそれがやはり真実なのでございましょう。私は天使様の厳格な御指導のお蔭で、近頃はいくらか諦めがつき、一歩一歩に、心身の垢を払おうと考えるようになりました」
 「あなた様の毎日の御修業は、主にどんな御修業でございますか?」と菊池老人が、更に追究しました。
 「それはイエス・キリストの御神像に向かって、精神を集中するのでございます。つまり早く神様のお側に行けるようにと、脇目も振らず念じ詰めるのでございまして・・・」
 菊池老人は、さもこそと言わぬばかりの面持ちで僕を顧み、「新樹さん、形式は違いますが、こりゃやはり精神統一の修業ですな。どうもこれより外に、格別の修行法はないものと見える・・・・」
 「全く御意見の通りですね」と僕も賛成しました。「要するに形式方法は末で、精神の持ち方が肝心なのでしょうね-ところで桜林さん。あなたは今でも、イエス様を、神様のたった一人のお子さんだと考えておられますか」
 「そう信じております。イエス様は世界万民の救世主、私共の罪を贖ってくださる、貴い御方でございます・・・」
 「それは少し違ってはおりませんか」と僕は思い切って言ってやりました。「イエスは二千年前に、地上に現れた普通の人間、又キリストは、人類発生前から存在する宇宙の神様、日本で言えば、つまり高天原をしろしめす天照大神様です。人間と神様とを混線して取り扱うのは、既成宗教の全てが陥った弊害で、これは我々として、大至急訂正を要する問題です。無論僕はイエスを心から尊敬します。が、同じ意味において、僕は釈迦も、孔子も、ソクラテスも、弘法も、日蓮も皆尊敬します。なかんずく僕は神武天皇様を、心から崇拝します。理想的な国家の体系、理想的なかんながらの大道を確立された御方は、世界のどこにも他にないですからね・・・。日本の教えの特色は、少しも混ぜものがないことで、神はどこまでも神、人はどこまでも人、はっきりと両者を切り離し、しかも両者の間に、しっかりと神人感応の道をつけてあるから、素晴らしいのです。あなたも、早くイエスを神の唯一の子と考えるような心の迷いからお覚めなさい。折角の精神統一が、そんなことでは台無しになります。いつまで経っても、あなたの四周が暗いのは、確かその為です。僕などは、生前信仰問題などには、まるで無頓着な呑気者で、その為にこちらへ来てから、一時大いにまごつきましたが、幸い歪んだ先入主がなかったばかりに、割合に早く心眼が開け、少しはこちらの世界の事情も判って来ました。キリスト教にも、確かに良い箇所はありますが、どうも少し混ぜものが多過ぎます。桜林さんも、その混ぜものだけはお棄てなさい・・・」
 「それでも私は、現在イエス様から遣わされた、天使様のお世話になっている身でございます。私にはそれに背く気にはまだなれません」
 「僕、その御遠慮には及ばないかと思いますね。あなたが受け入れないので、あなたの指導者は、止むを得ず西洋式の天使に化けているのですよ。僕の指導者も、あなたの指導者も、別に変わったものではないと思いますね」
 「そうでございましょうかしら・・・」と桜林夫人は、まだ承諾しかねる様子でした。「もしあなたの仰るところが事実だとすれば、私の信仰は、根本から覆ってしまいます。どうかもう少し考えさせて頂きます」
 「桜林さんは、気の毒な程萎れ返って考え込みました。仕方がないので、僕と菊池老人とで、様々に慰め励まし、兎も角も、よく考えた上で、態度を決めるがよかろうと言って、その日の会見を打ち切りました。
 夫人が帰った後で、僕は少々手厳しく言い過ぎはしなかったかと、内々心配していましたが、そう案じたものでもなく、間もなく、夫人から嬉しい音信がありました。その内容は大体こんなものでした-」
 「私は桜林でございます。先日は大そう結構なお話を伺わせて頂き、心からお礼を申し上げます。あれから帰りまして、私は早速私の天使様に全てを打ち明け、あなたは、果たしてイエス様の使者なのでございますか?とお訊ねしました。最初は何ともお答えないので、私としては気が気でなく、ムキになって再三問い詰めますと、「そなたの心が、そう荒んでいては駄目である。先ず心を鎮めよ」と仰せられ、そのままプイと姿を消してしまわれました。私は何とも言えぬ寂しい気分で、イエス様の御神像の前にひれ伏して、御祈りをしている中に、段々心が落ち着いてまいりました。すると天使様は、再び私の前に御姿を現し、慈愛のこもれる眼差しで、じっと私を見つめられながら、こう言われました。「実は自分は、イエスの使者でも何でもない。自分は大国主の神から、そなたの指導役として遣わされた龍神である。そなたは龍神ときいて、びっくりするであろうが、実はそなたに限らず、こちらの世界で、人間の指導に当たるのは、何れも皆龍神なのじゃ。日頃そなたは、しきりに神のお側に行きたいと祈っているが、あれは果敢なき夢じゃ。各自は器量相応の境遇に置かれ、一歩一歩向上せねばならぬのじゃ。修業さえ出来ればどんな立派なところへも行かれる・・・」-その時ふと気が付いてみると、今まで西洋式の天使のような姿をされていた御方が、いつの間にやら、白い姿の六十ばかりの老人になっていられました。これを見ては、さすがの私も、ようやく多年の迷夢から覚めました。やはりあなたの仰られたことが、正しかったのでございます。これから私も、元の白紙の状態に戻り、一生懸命に勉強して、一人前の働きの出来るよう心掛けます・・・」
 僕はその後、まだ一度も桜林さんとは面会しませんが、いずれ機会を見て、訪問してみようかと考えております。その際何か材料があったら又通信します。今日はこれで・・・。

       
       
自殺してはならない霊的な理由 自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
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