自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P40より抜粋

 1913年9月26日 金曜日

 前回の通信は、あなたにもう少し深入りした感応の仕方を試してみるべきであるとの霊団の一人の要請を受けてやってみたものです。が、説明出来るようにはなりましたが、説明の内容はまだまだ十分とは言えません。そこで、あなたがお望みであれば引き続き同じ問題を取り上げようと思いますが。

-有難うございます。お願いします。

 では、あなたにも暫く私達と共にヴェールのこちら側から考えて頂かねばなりません。まず理解して頂きたいのは、こちらへ来てみると地上で見ていたものとは全く異なった様相を呈していること-恐らく現在地上にいる人の目には非現実的で空想的にさえ思えるのではないかということです。どんなに小さなことでも驚異に満ちておりますから、こちらへ来たばかりの人は地上での三次元的な物の考え方から脱しない限り、飛躍的な進歩は望めません。そしてそれが決して容易なことではないのです。
 さて、ここで例のバイブレーションという用語を使用しなくてはなりません。しかしこれを物的なもののように考えては真相は理解出来ません。私達の言うバイブレーションは作用においても性質においても単なる機械的な波動ではなく、それ自体に生命力が宿っており、私達はその生命力を活用して物をこしらえているのです。言わば私達の意志と環境とを結ぶ架け橋のようなものです。突き詰めれば全ての現象はその生命力で出来ているからです。環境は私達を始め全存在を包む深い生命力の顕現したものに過ぎません。それを原料として私達は物をこしらえ成就することが出来るのです。バイブレーションというと何だか実体のないもののように思われがちですが、それがちゃんとした耐久性のあるものを作り上げるのです。
 例えば光明界と暗黒界との間の裂け目の上に橋を掛けるのもその方法によります。その橋がただの一色ではないのです。暗黒の世界の奥深い所から姿を見せ、次第に輝きを増しながら裂け目を越え、最後に燦々たる光輝を発しながら光明の世界へと入り込んでおります。その光明界の始まる高台に掛かる辺りはピンク色に輝き、大気全体に広がる何とも言えない銀色、アラバスターと言った方がよいでしょうか、そんな感じの光の中で輝いて見えます。
 そうですとも。その裂け目に立派に〝橋〟が掛かっているのです。もし無かったら暗黒の世界から光明の世界へと闇を通り抜けて霊魂はどうやって向上進化してくるのですか。本当なのです。言い落としておりましたが、怖ろしい暗闇の世界を潜り抜けてその橋をよじ登り、裂け目のこちら側へやって来る霊魂が実際にいるのです。もっとも数は多くはありません。大抵はその道案内の任に当たっておられる天使様の言うことが聞けずに後戻りしてしまうのです。
 又、こういうことも知っておく必要があります。そうした天使様の姿は魂の内部に灯された霊的明かりの強さと同じ程度にしか映らないということです。ですから天使様の言うことを聞いて最後まで付いて行くには、天使様に対する信頼心も必要となってきます。その信頼心は同時に光と闇とをある程度まで識別出来るまで向上した精神の産物でもあるわけです。実際人間の魂の複雑さはひと通りでなく、捉え難いものですね。そこで、もう少し言葉で表現し易い話に移りましょう。私はそれを〝橋〟と呼びました。しかし「目は汝の身体の光である」という言葉がありますね。この言葉をここで改めて読んで頂きたいのです。そうすれば、それが地上の人間だけでなく、こちらの霊魂についても言えることがお判りになると思います。
 私はこれまで〝橋〟という呼び方をして来ましたが、実際には地上の橋とはあまり似ていないのです。第一、幅がそれはそれは広いのです。〝地域〟と呼ぶのが一番当たっているようです。私はまだ死後の世界のほんの一部しか見ておらず、その見た限りのものだけを話していることを念頭において聞いてくださいよ。同じような裂け目や橋が他にも-多分数え切れない程-あるに相違ありません。その畝(うね)つまり私が橋と呼んでいるものを通って光明を求める者が進んで来ます。実にゆっくりした足取りです。しかもその途中には幾つかの休憩所が設けてあり、暗黒界から這い上がって来た霊魂がその内の一つに辿り着くと、そこで案内役が交替して、今度は別の天使の一団が次の休憩所まで付き添います。そうやって漸くこちら側に着きます。私が属している例のコロニーでの仕事も、地上の救済の他に、そうやって向上して来る霊魂の道案内も致しております。それは先程述べた仕事とは又別の分野に属します。私はまだあまり勉強しておりませんので、そこまでは致しません。そちらの方が難しいのです。というのは、こちらの世界の暗黒界にいる者を取り巻く悪の影響力は地上のそれに比して遙かに邪悪なのです。地上はまだ善の中に悪が混じっている程度ですからマシです。こちらへ来た邪悪な人間がうっかりその暗黒界へ足を踏み入れようものなら、その途轍もなく恐ろしい世界から抜け出ることの大変さを思い知らされます。想像を超えた長い年月に亘って絶望と諦めの状態で過ごす霊が多い理由はそこにあります。
 暗黒の世界から這い上がって来た霊魂が無事その橋を渡り切ると天使様が優しく手を取って案内してあげます。やがて草木の茂った小高い緑の丘まで来ると、そこまで実にゆっくりとした足取りで来た筈なのに、辺りの美しさに打たれて喜びで気絶せんばかりの状態になります。正反対の暗黒の世界に浸り切っていた霊魂には、僅かな光明にさえ魂が圧倒されんばかりの喜びを感じるのです。
 私は今〝小高い丘〟と言いましたが、高いと言っても、それは暗黒の世界と比べた場合のことです。実際には光明の世界の中で一番低い所なのです。
 〝裂け目〟とか〝淵〟とかをあなたは寓話のつもりで受け止めているようだけど、私が述べた通りに実際にそこに在るのです。このことは以前にもどこかで説明があった筈です。それから、なぜ橋をトコトコ歩いて来るのか、なぜ〝飛んで〟来ないのかと言うと、まだ霊的発達が十分でなくそれが出来ないということです。もしそんな真似をしたら、いっぺんに谷底へ落ちて道を見失ってしまいます。
 私はまだまだ暗黒の世界へ深入りしておりません。ほんの少しだけですが、悲劇を見るのは当分これまで見たものだけで十分です。暫く今の仕事に精一杯努力して、現在の恵まれた環境のもとで気の毒な人々に援助してあげれば、もっと暗黒界の奥まで入ることを許されるかも知れません。多分許されるでしょう。しかしそれはまだ先の話です。
 あと一つだけお話しましょう-あなたはそろそろ寝なくてはならないだろうからね。霊魂が暗黒の世界から逃れて橋の所まで来ると、後ろから恐ろしい叫び声や怒号が聞こえ、それと共に狐火のようなものがチラチラと見えるそうです。私は実際に見ていないのではっきりしたことは言えませんが、それは仲間を取り逃がした暗黒界の霊魂が悔しがって怒り狂う時に発するのだと聞いております。悪は所詮、善には勝てないのです。いかに小さな善にでもです。が、このことについては今はこれ以上深入りしません。私が今述べたことは私が実際に見たものではなく、又聞き、つまり人から間接的に聞いたことです。ですが、本当のことです。
 ではおやすみ。神の御光と安らぎが注がれますように。その御光の中にこそ光明を見出されることでしょう。そうしてその輝きこそ無限に開け行く安らかなる霊魂の黎明(れいめい)なのです。

 オーエンの母親の霊より