自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P8より抜粋

 これは、オーエン著の『ヴェールの彼方の生活』のまえがきです。ちなみに、オーエンとして紹介されている文章は全て『ヴェールの彼方の生活』(全四巻)よりの抜粋です。


 まえがき

 G・V・オーエン

 この霊界通信すなわち自動書記又は(より正確に言えば)霊感書記によって綴られた通信は、形の上では四部に分かれているが、内容的には一貫性を有するものである。いずれも、通信を送って来た霊団が予め計画したものであることは明白である。
 母と子という肉親関係が本通信を開始する絶好の通路となったことは疑う余地がない。その点から考えて本通信が私の母と友人達で構成された一団によって開始されていることは極めて自然なことと言える。
 それが一応軌道に乗った頃、新しくアストリエルと名乗る霊が紹介された。この霊はそれまでの通信者に比べて霊格が高く、同時に哲学者的なところもあり、そういった面は用語の中にもはっきり表れている。母の属する一団とこのアストリエル霊からの通信が第一巻『天界の低地』を構成している。
 この言わば試験的通信が終わると、私の通信はザブディエルと名乗る守護霊の手に預けられた。母達からの通信に較べると流石に高等である。第二巻『天界の高地』は全部このザブディエル霊からの通信で占められている。
 第三巻『天界の政庁』はリーダーと名乗る霊とその霊団から送られたものである。その後リーダー霊は通信を一手に引き受け、名前も改めてアーネルと名乗るようになった。その名の下で綴られたのが第四巻『天界の大軍』で、文字通り本通信の圧巻である。前三巻のいずれにも増して充実しており、結局前三巻はこの第四巻の為の手慣らしであったとみても差し支えない。
 内容的にみて本通信が第一部から順を追って読まれるべき性質のものであることは言うまでもない。初めに出た事柄が後になって説明抜きで出て来る場合も少なくないのである。
 本通信中の主要人物について簡単に説明しておくと-
 私の母は1909年に63歳で他界している。アストリエルは十八世紀半ば頃、英国ウォーリック州で学校の校長をしていた人である。ザブディエルについては全然と言ってよいほど不明である。アーネルについては本文中に自己紹介が出ている。霊界側の筆記役をしているカスリーンは英国リバプール市のアンフィールドに住んでいた裁縫婦で、私の娘のルビーが1896年に僅か十五ヶ月で他界するその三年前に28歳で他界している。
 さて、〝聖職者というのは何でも直ぐに信じてしまう〟というのが世間一般の通念であるらしい。成る程〝信仰〟というものを生命とする職業である以上、そういう観方をされてもあながち見当違いとも言えないかも知れない。が、私は声を大にして断言しておくが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。ちなみに私が本通信を〝信ずるに足るもの〟と認めるまでに丁度四分の一世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際にあることを認めるのに十年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っていることをはっきりと得心するのに十五年かかった。
 そう得心して間もなく、その回答とも言うべき現象が起こり出した。最初まず私の妻が自動書記能力を発揮し、やがてその手を通じて、お前も鉛筆を握って机に向かい頭に浮かぶ思念を素直に書き下ろしてみよ、という注文が私宛に送られて来た。正直のところ私はそれが嫌で、暫く拒否し続けた。が、他界した私の友人達がしきりに私を通じて通信したがっていることを知るに及んで、私の気持にも大分変化が起き始めた。こうした事実からも十分納得して頂けることと思うが、霊界の通信者は通信の目的や我々に対する希望は述べても、その為に我々の都合や意志を無視したり強制したりするようなことは決して無かった。結果論から言えば少なくとも私の場合は強引に書かせた方が手間暇が掛からずに済んだろうにと思われるのだが・・・。
 が、それでも私は直ぐには鉛筆を握らなかった。しかし、その内注文する側の真摯な態度に好感を覚え、多分に懐疑の念を抱きつつも遂に意を決して、晩課が終わってからカソック姿(法衣の一種)のまま机に向かったのであった。最初の四、五節は内容に統一性が無く、何を言わんとしているのか見当がつかなかったが、その内次第に纏まりが見えてきて、やがて厳とした筋が読み取れるようになった。それからというものは書けば書く程筆が速くなった。読者が今まさに読まんとされているのがその産物である。

 1925年秋