自殺ダメ




 [コナン・ドイルの心霊学]コナン・ドイル著 近藤千雄訳より

 P226より抜粋

 ところで、キリストは十二人の弟子を選ぶ時に何を基準にしたのであろうか。キリストを慕う者は数え切れない程いた筈である。その中から僅か十二人を選んだ、その選定基準は何だったのであろうか。私の憶測に過ぎないかも知れないが、一応考察してみるのも無駄ではあるまい。
 まず、知性と教養を基準としたのではないことは、その十二人の中でも傑出していたペテロとヨハネでさえ〝無学で無知〟と表現されているところから明瞭である。徳性の高さでなかったことも、ユダという裏切り者がいたことから確かである。しかも十二人の全てが、キリストの非業の死の現場に姿を見せていない。師を見捨てているのだ。崇拝の念の強さでもなかったであろう。キリストへの崇拝の念なら、他の無数の信奉者もその強さにおいては負けていなかった筈である。が、ここで一人選び、あそこで二人選ぶというふうに弟子を指名していったところをみると、何か基準があったに相違ない。
 それは、霊的能力であったとみてまず間違いないであろう。地上人類としては最高といえる霊的能力を発揮したキリストは、たとえ程度においては劣っても、同じ霊的能力を具えた者を身の回りに置いておきたかった筈だと思う。それには二つの理由が考えられる。
 一つは、近代の実験会でもそうであるが、一つのサークルが出来ると、霊媒自身の能力に更にパワーが付加されるという事実がある。サークルのメンバーのオーラの調和が、プラスアルファのパワーを生むのである。キリストがそうした霊的雰囲気に左右されていたことを物語る事実として、キリストを快く思っていない生まれ故郷に帰った時は、何一つ驚異的な現象を見せることが出来なかったことが、福音書に述べられている。
 もう一つの理由は、自分の、在世中か死後かのいずれであるかは別として、キリストは多分、弟子達に自分に代わって同じ仕事をやって欲しかったのではないかと思う。それには当然、相当な霊的能力が不可欠だった。