自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 P139より抜粋


 「私は初めこの話を興味本位で聞いておりました。ところがその呑気な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実はそのことを知る為だったのだという自覚が油然として湧いて来ました。私には実は一度死産児を産んだ経験があるのです。それに気が付くと同時に私の胸には、その子に会いたいという気持が止めども無く湧いて来ました。〝あの子もきっとここに来ているに違いない〟そう思うや否や私の心の中に感激の渦が巻き起こり、しばし感涙にむせびました。その時の気持はとても筆には尽くせません。側に仲間がいることも忘れて、木陰の芝生にうずくまり、膝に頭を押し付けたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持を察して、黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から脱け出るのを待っておりました。
 やがて少し落ち着くと、その仲間の一人が優しくこう語ってくれました。〝私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです〟
 それを聞いて私はゆっくりを顔を上げ、涙に潤んだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私の願いを察してくれたのでしょう。直ぐに腕を取って一緒に立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。ふと我に返ってみると、その木立の繁みを通して子供達の楽しそうなはしゃぎ声が聞こえて来るではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。まだ実際に子供に会ってもいないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるか-私はそんなことを心配しながら木立に近付きました。
 表現がまずいなどと言わないでおくれ。時間的に言ったらそう昔のことでもありませんが、さりとて昨日や一昨日のことでもありません。なのに、その時の光景と感激とが生き生きと甦ってきて、上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどということは考えも及びませんでした。
 ですから、突如としてその事実を知らされた時は、私はもう・・・ああ、私にはこれ以上書けません。どうか後は適当に想像しておくれ。とにかく、この愚かな母親にも神様はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせてくださったのです。私がもっとしっかりしておれば、もっと早く会わせて頂けたでしょうにね。
 最後に一つだけ大切なことを付け加えておきましょう。本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい思い出にかまけてしまって・・・。その大切なことというのは、子供がこちらへ来ると、まずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上のことを勉強させます。地上生活が長ければ長い程、それだけこちらでの地上の勉強は少なくて済みます。死産児には全然地上の体験が無いわけですが、地球の子供であることには変わりありませんから、やはり地球の子としての教育が必要です。つまり地上へ近付いて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。勿論地上へ近付くにはそれなりの準備が必要です。又、いよいよ近付く時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるで無いので、地上生活をした子供に比べてその準備期間が長いようです。矢張り地上生活が長い程、又その生活に苦難が多ければ多い程、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが早いようです。