自殺ダメ



 かくして人類は、自由意志があるが故に、この地上にありながら〝自分の地獄〟ないしは〝自分の天国〟をこしらえることになります。日常生活において高層界と波動が繋がった生き方をしている人間は、死後、その階層へ赴くことになります。イエスの言う〝多くの館〟のある界です。そこは特別の界ではありません。正常な普通の人間なら誰しも住まうことの出来る世界です。
 この自由意志が果たしている意義についてシルバーバーチは-
 「人間を支配しているものに相反する二種類の力があり、それが常に人間界で葛藤を繰り広げております。一つは動物の段階から引き継いできた獣性、もう一つは大霊の息吹ともいうべき神性を帯びた霊力で、これがあるからこそ、人間も永遠の創造に参加することが出来るのです」
 「その絶え間ない葛藤の中で、そのどちらを選ぶかは各自の自由意志に任されております。こちらの世界に来ると、それが獣性による罪悪を克服し内部の高等な属性を発現させる為の絶え間ない努力、つまり、完全性へ、光明へと向かう道程での葛藤、粗野な要素を削ぎ落とし霊という名の黄金がその輝きを見せるまで鍛えられ、純化され、精錬され、試される為の葛藤において、各自がそれをどう受け止めるかは、当人の自由意志に任されているということです」
 その霊の世界については-
 「地上界の次の階層は物質の世界と生き写しです。もしそうでなかったら、何も教えられず従って何も知らずにやって来る多くの新参者が、あまりの違いにショックを受けることになるので、初期の段階は馴染み易い環境になっているのです。それまで生活していた環境とよく似ています。死んだことに気付かずにいる者が多いのはその為です」
 「こちらは本質的には思念の世界です。思念が実在なのです。思念の世界ですから、思念が表現と活動を形成します。地上界に近く、また相変わらず唯物的な人生観を抱いた男女が住まっていますから、発せられる思念は至って低俗で、何もかもが物質的です」
 「彼らは物質から離れた人生が考え付きません。かつて一度たりとも純粋に物的なものから離れた存在というものが意識の中に入ったためしがないのです。霊的なものを思い浮かべることが出来ないのです。従って彼らの思考体系の中に霊的なものは存在しないのです」
 「しかし、幽界生活にも段階があります。そうした生活の中においても霊的意識が徐々に目を覚まし、粗悪さが消え、洗練されていきます。すると彼らの目に、生きているということに物的側面を超えた何かがあることが分かり始めます。そう気付いて霊的感性が目覚めた時から、彼らは幽界世界に対して〝死んだ〟も同然となり、いつしか霊的世界で生活し始めることになります。かくして生命活動には幾つもの〝死〟と幾つもの〝誕生〟があることになります」
 これはバイブレーションの理論でいけば、ある次元から次の次元へと進化し、自動的にそれまでの役目を果たした身体を脱ぎ捨てて、次の段階に相応しい身体を纏うということです。シルバーバーチはそうして段階的に開け行く霊の世界の素晴らしさを次のように語ります-
 「私達の世界がどういうものかを実感を持ってお伝えすることはとても困難です。こちらの世界には探検するものが沢山ありますと申し上げる時、それは実際の事実を正直に述べているのです。あなた方は霊の世界の無限の生命現象について何も御存じありません。森羅万象の美しさ、景色の雄大さ、千変万化の優雅な現象は、あなた方にはとても想像出来ません」
 「私達の世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、荘厳さ、光輝はとてもあなた方には想像出来ません。それを説明する言葉を見出すことも出来ません」
 「こちらの生活の場は平面的に区切られているのではなく、無数の次元に分かれており、それらが渾然一体となっております。各次元の存在はあなた方の言う客観的な実在であり、そこで生を営む者にとっては同じに見えます。丘があり、山があり、川があり、せせらぎがあり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が繁っております。全てに実感があります」 
 「(病気などの)肉体の苦痛から解き放たれ、(疲労などの)肉体の束縛から逃れた霊の世界での生活は、物質の世界には譬えるものがありません。行きたい所へは一瞬の内にどこへでも行けますし、思ったことが直ぐに形態を持って現れますし、思い通りのことに専念出来ますし、お金の心配もいりません」
 「以心伝心という、地上の言語では説明の出来ない手段で意思を通じ合う世界です。思念そのものが生きた言語であり、電光石火の速さで伝わります」
 「お金の心配をする必要もなく、競合する相手もなく、弱い者が窮地に陥ることもありません。こちらで〝強い者〟という時は、自分より幸せでない者に自分のものを分けてあげる人のことです」
 「失業者もいません。スラム街もありません。利己主義者もいません。宗教教団などもありません。〝大自然の摂理〟という宗教があるだけです。聖なる教典もありません。神の摂理の働きがあるのみです」
 「痛みというものを知らない身体で自我を表現し、その気になれば地上界を一瞬の内に巡ることが出来、しかも霊的世界の贅沢を味わうことが出来るようになる(死ぬ)ことを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか」
 「この世界では芸術家は地上時代の夢が存分に叶えられます。画家や詩人は大望を実現し、天才は存分に才能を発揮します。地上的抑制の全てが取り払われ、天賦の才能と才覚がお互いの為に使用されます」
 「私が所属している世界の美観を、その一端でも描ける画家は地上にはいりません。地上界の音階で、こちらの世界の壮観をその一端だけでも表現出来る音楽家はいません。地上界の言語で霊の世界の素晴らしさを書ける文筆家は、一人もいません」
 「地上界は今まさに美しさの真っ只中(五月)です。生命のサイクル(四季)が巡って再び生命の息吹が辺りを覆い尽くし、あなた方はその美しさと花の香に驚嘆し、神の御業のなんと見事なこと!と仰います」
 「しかし、皆さんが目にするのは私達の世界の壮観のほんの微かな反映にすぎません。こちらには皆さんが見たこともない種類の花があります。皆さんが目にしたこともない色彩があります。景色にしても森にしても、小鳥にしても植物にしても、小川にしても山にしても、地上界のものとは比べものにならないほど美しいものばかりです。しかも皆さんもいずれはそれを目にすることが出来るのです。その時は地上の人間としては〝幽霊〟となるわけですが、実は本当の自分自身なのです」

 以上が平凡な人間がごく普通に人生を送り、そして与えられた寿命を全うした場合に赴く死後の世界の簡単なスケッチです。死者の世界から戻って来て死後に待ち受けるものについて語った者はいない、と豪語する者には格好の反論となるでしょう。シルバーバーチがまさにその強力な証人ですが、スピリチュアリズムの歴史にはそうした霊界通信が、語られたり書かれたりして、豊富に存在します。近代のものでは英国人霊媒で米国でも活躍したレスリー・フリントの霊言通信に見るべきものがあります。
 長い入院生活の末に他界した人や死後の存続について何の知識もないまま霊界入りした人の面倒を見る為の、地上のクリニックや療養所に相当する施設の話も出てきます。そこで少しずつ身の上の変化に気付き、地上とは異なる新しい環境への理解が芽生えるといいます。
 住まう家もあります。熱中する趣味もあります。美術品や音楽を鑑賞する為の美しいホールや様々な建造物もあります。それぞれの階層の色彩や、それが環境に与える輝きなどについて解説してくれる施設もあります。全てが思念の力で営まれているのです。