自殺ダメ



 「その状態は自然に覚醒の時機が熟するまで続きます。あなた方の時間的感覚で長い場合もあれば短い場合もあります。一人一人違います。霊的知識の具わった者にはそういう問題は生じません。物質の世界から出て霊の世界へと入るというだけで、適応が極めてスムーズです。目覚めると、そこには愛する人達が出迎えてくれているのを知って、歓喜の情が湧いて来ます」
 「地上では、愛する人が見えない世界へ行ってしまって涙に暮れ、こちらでは物質の束縛から解放された霊が戻って来て、地上の言葉では言い表せない喜びを味わい始めます」
 「自由になった人のことを悲しむのはおやめなさい。毛虫が美しい蝶になって羽ばたいて行ったことを悼むことはありません。鳥カゴから飛んで出て行った小鳥のことを嘆いてはいけません。喜んであげなさい。そして、束縛から解放された魂は自由を満喫し、そしていつの日かあなた方も、大霊から授かった資質のお蔭で、今その魂が味わっているのと同じ美しさと喜びを手にする日が来ることを知ってください」
 「これで死というものが持つ意義を理解することが出来たことと思います。死とは踏み石の一つ、より大きな境涯へ赴く為に通過するドアに過ぎないのです」
 「もしも遺族の方々の活眼が開かれ、霊耳で見ることが出来、霊的世界のより精妙なバイブレーションを捉えることが出来れば、その霊は今やすっかり甦り、物的牢獄の束縛から解放されて、自由と喜びを満喫している姿が見えるのですが」
 この〝死〟の現象については、今までのところ純粋な科学的研究はなされていませんが、医学に携わる人の中には俗に「臨死体験」(近似死体験とも)と呼ばれている不思議な体験をした何百人にも及ぶ患者がいて、詳細な聞き取り調査を行っている人がいます。
 臨床的には完全に〝死んだ〟筈の人間が甦って、その間の観察と体験を詳細に物語ったものを纏めたものが報告されています。これは体外遊離現象の一種で、誰しもが行なっているといわれる睡眠中の幽界旅行と同じですが、その体験の種類は実に多岐にわたっています。それらに共通した要素と体験の順序、それから幽体が肉体を脱け出てからどのように機能するかを纏めると、およそ次のようになります。
 呼吸が止まる、すると担当医が「死亡」の宣告をする声が聞こえる。すると急にガンガン、ブンブンといったやかましい音と共に、暗くて長いトンネルのような所を猛烈なスピードで通り抜けるような感じがして、気が付くと自分の体の外にいる。そう遠くはなく、医療スタッフが自分の体に蘇生術を施しているのが見える。
 最初の内は興奮状態だったが、次第に環境に慣れてくると、自分も〝身体〟の中にいることに気付く。必死で蘇生術を施されている身体とはだいぶ質が違うようである。ある体験者は「相変わらず身体の中にいるのですが、肉体ではありません。エネルギーの鋳型とでも呼べばよいでしょうか。それでいて器官が全部揃っているのです」と述べている。
 やがて、死んだ筈の親戚や友人などが迎えに来て挨拶をする。それとは別に一個の光が近付いて来る。最初はぼんやりしていたが、次第に光輝を増し、地上で見たこともない程の強烈な光となったが、不思議に目が眩まない。
 その光に抑え難い愛着を覚える。〝生〟と〝死〟の狭間で宙ぶらりんの状態にある自分に愛と温もりを放射してくれる。宗教的心情とは無関係にこれを〝神の使者〟ないしは〝守護霊〟と言うのかと思う。
 その間も医療スタッフは蘇生に余念が無く、緊張した声が飛び交っているが、その〝光の存在〟と自分との間の思念のやり取りは、そうした声には全く邪魔されることがない。言葉はどうやら自分の母国語ではないらしいが、全く障害にならない。
 その〝光の存在〟からの言語を超越したメッセージには、咎めたり怖がらせたりするものは一切ない。最初の話題は死ぬ覚悟は出来ているかとか、この度の地上人生で為し遂げたものがあるか、といったことだったが、それに対する自分の返事を聞いても愛と寛容と理解と慈愛に満ちた念を送ってくるだけだった。宙ぶらりんの状態にある自分を霊的向上の波動に乗せようとしてくれているようだった。
 その体験をある人はこう綴っている-
 「その光が語りかけてくれた瞬間から私は何ともいえない楽しい気持になった。いかにも守られている、愛されている、といった感じだった。その愛の素晴らしさは人間の想像を超えているし説明も出来ない。一緒にいるのが楽しくてしょうがない存在-ユーモアのセンスさえ見せる程だった!」と。
 〝光の存在〟にとって、その人間の全人生は開かれた書物のように丸見えなのであるが、本人に反省を促すべきところを瞬時にプレーバックして見せる。本人も瞬時にそこから教訓を学び取る。それを煎じ詰めると、「他人を思いやり、知識を身に付けよ」ということになりそうである。
 そうしている内に〝光の存在〟が、物質界に戻って寿命を全うするようにと告げるか、目の前を遮蔽物や水やドアなどが遮って、地上界と霊界とを遮断してしまうという現象が展開する。その向こうには迎えに出てくれた親族や友人がいて、まだ自分達の仲間入りをする時期ではないこと、地上界に戻って寿命を全うしなければならないことを優しく諭してくれる。
 大抵の者がその間の体験があまりに快適で実感がこもっているので、地上界に戻るのを嫌がるものであるが、最後はやはり地上で為すべき仕事や義務が残っていることに得心がいく。
 そう得心したのは覚えていても、それからどうやって肉体に戻ったかは分からない、というのが通例である。中にはベッドの脇にいた「姉とその夫の声が聞こえて、磁石で引き寄せられるように呼び戻された」とか、「吸い込まれるようにして戻った。頭から吸い込まれ、肉体の頭部の中に入った」と述べている者がいる。
 以上が所謂近似死体験の概略ですが、この最後のコメントはマルドゥーン女史の「幽体は延髄の辺りで肉体と繋がっている」という証言と一致しています。その他、蘇生術を施している医療スタッフの様子、そのスタッフや身内の証言、様々な角度からの肉体の観察を総合してみると、肉体の機能の全てが幽体に具わっていること、また死後の世界では以心伝心(テレパシー)で対話をするという、シルバーバーチその他の霊言を裏付けています。
 〝光の存在〟は宗教の違いに関係なく多くの体験者が異口同音に語るところで、シルバーバーチのいう〝光り輝く存在〟を思い起こさせます。そして、霊的に向上する為には知識の獲得と他人への思いやりが大切であることを強調していることは、注目すべきでしょう。

 (訳者説明)
 霊的に向上進化し身体が浄化されていくにつれて次第に形体が流動的になり、ついには光り輝くだけの存在となる。これをシルバーバーチは〝光り輝く存在〟 Shining ones と呼んでいる。〝光の存在〟は文字通り Beings of Light である。