自殺ダメ




 シルバーバーチの言う「一体自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識」を与えてくれるのは、スピリットからのインスピレーションと一体となった科学なのです。つまり科学というのは、新たに発見される法則にインスピレーションによるお墨付きを与えねばならない立場にあるのです。しかし、一旦そのインスピレーションを信じ込んでしまうと、それが絶対的な真理として固定観念化されてしまい、いつしか永遠の遺産として精神の一部となっていく危険性があります。
 ここでシルバーバーチの次の言葉を読み返してみる必要がありそうです。
 「真理は閉ざされた心には入ることは出来ません。受け入れる用意の出来た人の心にだけ居場所を見つけることが出来ます。真理は、大霊と同じく、無限に存在します。この内のどれだけを手にするかは、各自の受容能力によって決まります。受容能力が増せば、それだけ多くの真理を悟ることになります」
 真理の探求にあたっては次のシルバーバーチの言葉に改めて耳を傾けたいものです。
 「知識、真理、叡智、成長に限界がないことに気付いた時、あなたは真の意味で自由になるのです。心の奥で間違いであることに気付いたもの、理性が反発するものを即座に捨て去ることか出来るようになった時、あなたは自由になるのです。新しい光に照らして間違いであることが分かったものを、恐れることなく捨て去った時に初めて自由になるのです」
 そんな次第で、これからシルバーバーチの教えを引用して私なりの解釈を施していくわけですが、それは科学者として私がこれまでにスピリットの世界から受けたインスピレーションによる解釈であり、それを出来るだけ平易な用語で述べますので、読者の皆さんも実在について私がどう理解しているかを〝直観〟してくださることを希望します。それがシルバーバーチが説いていることの神髄であると確信しています。
 つまりそれを完全に理解してくださる方は、全体としては極めて少数であろうことは覚悟の上で、ともかくも読者の皆さんに披瀝して、お一人お一人のレベルで理解して頂けば良いのではないかということです。
 スピリチュアリズムが勃発して以来、ほぼ一世紀半に亘って多くの研究がなされ、確固たる証拠は歴然と存在するのですが、物的身体に宿った人間は物的必要性の追求に明け暮れている内に、それを置き忘れてきました。宇宙の〝霊性〟などはどうでもよいのでしょう。しかし私は、そうしたものの重要性に目覚めた読者の為に、本書で自分自身について、そして自分が存在しているこの宇宙についての知識を提供したいと思います。
 シルバーバーチは「どこででも霊的真理を説くことです。時には拒絶されたり、小バカにされたり、物笑いの種にされたり、嘲笑の的にされたりすることもあるでしょう」と述べていますが、これまでの求道の旅の体験から私は、自分こそそうした逆境の中で霊的真理を説くべき立場にあることを自覚するようになりました。もしも自分だけの持ち物として所持しているだけでいたら、シルバーバーチの言う「せっかく授かった霊的知識が意図している生き方を実践していない」ことになると気付いたのです。
 ですから、こうして私を霊的摂理を説かねばならないと駆り立てるのは、シルバーバーチの言葉を用いれば「地上の至る所で人生の嵐の最中にいる大霊の子らに、その嵐に耐え抜く為の基盤、単なる気休めでない真実の心の支えを築かせてあげたい」という願いなのです。この霊的真理こそが喜びと幸せと落ち着きをもたらしてくれるからですが、同時に忘れてならないのは、霊的真理を知ったということは、それをどうするかという義務を伴う、ということだからでもあります。
 シルバーバーチは、それを〝埋め合わせの法則〟の一環と呼んでいますが、それは同時に「無知が生み出す愚かな恐怖を追い出してくれます」とも述べています。そうした言葉の意味を次章からなるべく平易に説いてみたいと思います。それは、シルバーバーチの言う「その人の手が届かない程高度なものとなってはいけません。理解力が及ぶ範囲の一歩先を行く程度のものであらねばなりません。その一歩一歩が人生の目的について、その実在性について、その基盤である永遠不変の原理について、その永遠の実相についてのより深い直感的な悟りを意味する」からです。
 「全ての邪悪の根源にはその霊的摂理への無知が存在します」とシルバーバーチは述べておりますが、1920年頃から半世紀余りに亘ってシルバーバーチが説いてくれた霊的摂理が殆ど理解されていないことは、世界全体のモラルの低下がそれを物語っております。
 その摂理の意味の重大性を本当に理解するまでは、人類は折角シルバーバーチが地球という故郷への通信回路を開いてくれた意義を理解したことにはなりません。シルバーバーチは言います-「そこに私が大霊の摂理の重要性を強調する理由があります。というのは、こうした摂理を理解することによって、あらゆる知識が調和するのです。これだけは科学者も哲学者も自由思想家も、その他いかなる分野の人間も反駁(はんばく)することは出来ないからです。なぜならそれが大霊の永遠にして不変不易の働きの上に成り立っているからです」そして「それを吸収し全体像を掴むことが出来て初めて、人生の意義が理解出来るのです」と説いています。
 私が見たところでは、死後の存続という事実そのものは別として、半世紀余りに亘って説かれたシルバーバーチの霊言に散りばめられた叡智の多次元にわたる意味は、まだまだ十分に咀嚼されていません。それは「あなた方自身、あなた方が存在している宇宙、そしてその創造主である大霊についての理解」のレベルを一段高くしてくれる駆動力となるべき性質のものなのです。
 つまりシルバーバーチは人類全体の霊性の進化を視野に置いて、宇宙における人類の位置についての理解のレベルを一段高めることを意図しているのであって、多くの人が陥りがちな幻想の世界の話をしているのではありません。理性を具えた人類が、今自分が置かれている宇宙についての正しい認識なしに、どうして〝より高度な教え〟という漠然とした呼ばれ方をしているメッセージが理解出来ましょう?それが理解出来たら、更に一段高い意識レベルでの理解へ挑戦しましょう。
 『はじめに』で述べましたが、私は人間と人生の謎の解明を求めて、読書と瞑想に耽った時期がありました。シルバーバーチの霊言集を始めとして哲学や科学の書を読み漁り、又それらの関連性について瞑想し、理性的理解とインスピレーションに接しました。それをこらから披露したいと思います。
 シルバーバーチは「私達霊団の者は霊的生命についての実相を語る使命を托されているのです。〝霊的〟という用語にはどこか神秘的な意味合いが漂いますが、そういうものではなく実在そのものなのです」と述べてます。更に-
 「あなた方は永遠に続く霊的巡礼の旅人です。その道案内として携えていくのは理性であり、常識的分別であり、明晰な知性です。その一部が書物であり、多くの先人達の生き様です」
 「それ故皆さんは自分に一番訴えるもの-誰かがいいことが書いてあると言ったとか、神聖であるからとか、尊いものであるからとかではなく-自分の旅にとって一番役に立つと思うものを選ぶべきです」とも述べています。
 僭越(せんえつ)ながら私も、シルバーバーチに倣って同じことを述べさせて頂きます。