自殺ダメ



 『背後霊の不思議』 M・H・テスター著 近藤千雄訳より


 モーリス・テスター
 二年間激痛に苦しめられたヘルニアを、心霊治療家テッド・フリッカーによって、僅か十分間の手当で治された。同氏から「あなたにも治病能力がある」と指摘され、間もなく治病能力を発揮、英国でも指折りの治療家として活躍した。1987年12月他界。



 健康と富と成功を得る方法をいかに立派に説いても、性の問題を無視しては完全とはいえない。というよりも、致命的といってよい程の手落ちといえる。性愛及びそれによってもたらされるところの悦びと幸福感は、心身両面の健康生活によって極めて重要な要素を占めている。その事実を心霊治療家としての生きた体験から説明して認識して頂くのが本章の目的である。
 人間誰しも、何らかの偏見を多かれ少なかれ持っているものである。偏見のない完璧な人間というのは有り得ない。というのも、人間は所詮は生れ落ちてから今日に至るまでの教育と環境、遺伝、様々な人生体験によって形成されてきたものだからである。
 そうなると、性の問題一つに絞ってみた場合、結局それも、あなたならあなたの生まれついた家庭、地方、国家の信仰上のしきたりや親のしつけ等によって大きく影響を受けている筈である。そしてそれが一つの偏見となって、無意識の内にあなたの性生活を縛り付けている筈である。
 私はこれからそういったしきたりや偏見、タブーの一切から離れて、全く新しい自由な観点から性を検討してみたいと思うのである。あなたも暫くは一切の既成観念から離れて、虚心坦懐に私の意見に耳を傾けて頂きたいのである。
 第一に認識して頂きたいのは、性にはこれが正常といえるような基準又は標準はないということである。
 人間一人一人顔形が違うように性欲の強さも千差万別であり、性的快感がもたらすところの心理的、感情的、知能的な効果も又千差万別である。あなたがこれが正常だと思い込んでいるのは実はあなたにとっての正常を意味するのであって、それを他人に当てはめて批評するのは間違いである。
 例えば体位の問題を取り上げてみても、かつてキリスト教の宣教師が太平洋諸島の布教に乗り出した時、男上位の所謂「正常位」を説いたら原住民は馬鹿馬鹿しいとばかりに大笑いをしたという話が残っている。原住民は原住民なりの楽しい体位があるわけで、それを正常と思っているのである。今でもそこの原住民は宣教師の説いた正常位のことを「宣教師体位」と呼んで笑いの種にしているという。
 この一例をみても分かるように、所変われば品変わるの譬で、性についての考えも小は地域により大は民族によって異なるのが実状である。性についての偏見を拭い去るには世界各地の性風習をあるがままに見ていくのが一番効果的のように思われる。
 現代の文明国では一夫一婦制が当たり前のように考えられているが、歴史を見れば分かるように、古代は無論のこと、つい近世まで、いずこの国でも一夫多妻が一般的であった。その例を中国に見てみよう。
 西洋人はモーゼを文明の始祖のように考えがちであるが、モーゼの時代つまり今から五千年前には中国は西洋より遙かに高度の文明を持っていた。既に文字があり、優れた詩人や劇作家がいた。三千年前には絹織物を完成し、陶器の製造法を考案し、印刷術も発明していた。孔子の如き大思想家が輩出して透徹した人生訓を残している。
 その中国の性観念は至って単純で正直であった。つまり性は楽しむべきものである。が、度が過ぎると飽きが来るから、夫婦で色々と工夫をこらし勉強もしなくてはならない、というものであった。
 男が妻を娶る。妻は夫を喜ばせるべく秘術をつくし、夫も妻に不満の残らないよう工夫する。仕事の上でも孔子の訓えを忠実に守って、夫は夫として妻は妻としての義務に勤しむ。
 が、やがて子供が出来る。妻には母親としての仕事が付加されるから、夫に対する妻としての勤めが疎かになる。そこで二番目の妻を娶る。若くて元気だから夫は満足し、家事の手伝いもするから正妻も助かる。
 が、その二番目の妻にもやがて子供が出来る。すると男はあっさりと三番目の妻を娶る。妻としてではなく妾として何人かの女を置く者もいる。或いは遊郭にはけ口を求める者もおろう。中国ではこうしたことが別に「悪い」ことではなく、トラブルの原因となることもなく、ごく当たり前のこととして認められていたのである。