自殺ダメ



 趣は少し異なるが、古代ギリシャにおいては男女共に肉体美そのものを崇拝した。男性は観衆の前で一糸纏わず肉体を披露し、女性は腰の回りにごく簡単なものを纏うだけでその肉感溢れる美を披露したものだった。そこには淑女ぶった態度も羞恥心もない。ひたすらに自分の肉体の美しさを自慢し、見る者は又それを賛美したのだった。
 当然のことながら、この風習は性生活そのものにも反映し、肉体的快楽を求める風潮が強かった。同性愛も盛んで、別に異常とは見なされなかった。
 インドにおいても性の悦びを心行くまで楽しもうとする風潮は強く、古来、単なる動物的交接以上の楽しみを得る為の工夫がなされてきた。その指導書が、今では古典として残っている有名な『カーマ・スートラ』で、性生活におけるマナーやエチケットまで細かく指導している。今日ではいささか陳腐な感じも無いではないが、その説くところは至って健全で範とするに足るものが少なくない。
 概して、欧米人はエチケットにはとても厳しい。かつてアメリカでベストセラーになったものに、エミリー・ポストという女性の書いたエチケットの本があった。社会生活を営む上でのエチケットとマナーを説いたものであるが、非常に砕けていて、全体的に自由主義的思想が行き渡っている。その点、インド人のエチケットは堅苦しく形式的な面が強いが、そのインドにおいて、世界的にも有名なカーマ・スートラという性生活のマナーとエチケットの本が出たという事実は注目に値する。人間生活において、性生活がいかに重要であるかを示していると見てよい。
 同じような傾向は日本においても見られる。日本とインドとの間に性思想の交流があった歴史もないのに、両国には非常に似通ったものが見られる。性は楽しむべきものであり、本来楽しいものなのだ。美味しい食事、心を和ませる生け花、精神を落ち着かせる掛け軸などと同じように、人間生活を豊かにする要素として性を扱ってきた。遊郭が芸術の温床のような役割を果たしていた点は、日本的性観念を示す大きな特徴として注目してよい。
 もう一つ、日本の風習で面白いのは男女が混浴する温泉場があることである。そこではヨーロッパ人が想像するように羞恥心を感じる者は一人もいない。それどころか、日本に来るヨーロッパ人までが平気で入るようになるというから不思議である。やはりそれが自然だからではなかろうか。