自殺ダメ



 次に、アラブにはインドのカーマ・スートラによく似た『香の園』という性愛の書がある。これも性の技法から作法、心がけなどを説いたもので、中々高度な中身をもっている。その根本思想はやはり性愛を一種のレクリエーションと見なし、その悦びを素直に堪能すべきだというところにある。
 元々アラブ人は、男女の数が平均している社会では一夫一婦制が好ましいという考えをもっていた。が所詮、それは理想であって、一方において男の本能が許さず、他方又妻が家事に追われて夫への配慮を忘れていくことが一夫一婦制の維持を困難にさせたというのが実状である。
 戒律の厳しさで知られるユダヤは、その歴史をみると厳しくしなければならないそれなりの理由があったのである。ユダヤの戒律といえばモーゼの十戒を思い出すが、当時のモーゼは実は非常に難しい問題を抱えていた。奴隷として働かされていたイスラエル人を大挙してエジプトから脱出させたのはよいが、これを統率していくには奴隷根性を捨てさせて民族意識と誇りを持たせ、良い意味での闘争心を植え付けねばならない。
 一方、土地は荒涼としていて、太陽は灼熱の如く照りつける。こうした環境の中ではまず第一に体力の無駄な消耗を防ぐことが要求される。次に一単位として家族の団結が要求される。ユダヤの戒律はこうした環境を背景として生まれたことを理解しなくてはいけない。
 長い年月に亘って戒律に縛り付けられてきたユダヤ人は、その戒律の正当性を云々するよりも、戒律を犯すことの罪意識の方が先に立つ。例えば、姦通罪は姦通そのものが罪だという意識よりも、姦通によって出来るかも知れない子供が法律によってユダヤ人として認められないから困る、という意識の方が強いのである。子供は女が産む。そこで、ユダヤの法律は女に厳しく出来ていた。姦通罪も女の方にだけ適用された。男には姦通罪はなかったのである。