自殺ダメ



 自慰に次いで問題となるのは婚前交渉であろう。が、これについても私は自由な考えを持っている。これも自慰行為と同じで、性に目覚めた若者が体験する自然な行動であり、正常な結婚生活に入るまでの段階的体験の一つと見るべきだと思う。少なくともこれを宗教的な意味での罪悪と決め付けるのはもっての外である。その根拠を説明しよう。
 成人から見て何でもないことでも、若者にとってはたまらない魅力の対象となるものが沢山ある。音楽、芸術、スポーツ、自動車、その他何もかもが新鮮な興味の源泉である。そして、やがてその中に性というものが入って来る。
 素直に考えれば、若い男女がお互いの肉体の秘密を知りたいという衝動を覚えるのは自然である。これを暴行とか強姦とかいう形で体験するのは無論罪悪であるが、愛し合っている者同士が心の関係から肉体の関係にまで発展していくのは極めて自然な成り行きであり、これは断じて罪ではない。
 が、全く問題がない訳ではない。女性が妊娠した場合である。中絶は絶対に許されない。なぜなら霊的に見れば人間は母体に宿った時から事実上の地上生活が始まっているからである。母体から出て呼吸を始めた時を一般に誕生と言っているが、実際には母体に宿った時が誕生なのである。
 そうなると、妊娠した以上は責任を持ってその子を出産し育て上げる義務があることを、まず自覚しなくてはいけない。もしもそれがイヤだと言うなら、妊娠しない工夫をすることである。つまり避妊である。
 宗教家の中には避妊を罪として禁止する人がいるが、これはナンセンスである。どうしても生まれて来る宿命を持った子なら、如何なる避妊法を講じても必ず妊娠してしまう。人間がそこまで心配する必要はない。

 次に結婚後の問題に進もう。よく問題になるのが浮気であろう。勿論単なる色好みによる浮気は許すわけにはいかない。が、奥さんがあまりに淡白過ぎたり潔癖過ぎたりして旦那の要求を拒否し過ぎる場合は、たとえ旦那が〝外食〟しても奥さんは文句を言えた義理ではない。旦那の浮気を弁護するのではなくて、不自然な夫婦関係の副産物として、これは止むを得ない結果だと言いたいのである。
 というのは、こんな時もし旦那があくまで貞節を要求され、それを正直に完遂しようとすれば、よくよく出来た人間でない限り、精神的な面で不自然な反応が現れ、遂には肉体的にも異常を来たすようになるに決まっている。
 こんな時、お国柄によっては公然と二人目の妻を娶ったり、所謂二号さんを置いたりする所もあろうが、〝先進国〟ではそれが許されない。となると、当然の成り行きとして〝こっそり〟とやる他ないことになる。霊的にまだまだ未熟な地球上においては、単なる法律や戒律によって形の上だけで綺麗事を説くよりも、もっと肉体の自然な欲望を素直に認めて、その欲求を満たす為の現実的な手段を講ずることの方が大切ではなかろうか。
 よく考えてみると、一夫一妻制というのは男女の数がほぼ平均しているからそうなっている面が多分にある。考えてもみるがよい。もし男性の数が女性の半分とか三分の一とかになったら、どういうことになるか。逆に女性の数が極端に少なくなったら、どういう現象が生じるか。大方の想像は大体一致する筈である。
 そういう面から考えても一夫一婦制というのは結婚形態としては数ある形態の中の一つにすぎず、それも男女の数が平等な社会における便宜上の制度だということになる。