自殺ダメ



 これも〝責任〟という言葉の問題がありますが、仮にあなたが父親の立場にあれば当然子供を一人前に育てる責任があります。すなわち衣食住を適度に満たし、愛情を傾けて、この世の人間として一人前にしてやる義務があります。
 が観点を霊的な立場に置いてみると、この世に生まれて来る霊は誕生の時点において既に霊格の差があり、それに応じた目的使命を持っているのですから、たとえ父親といえども干渉することは許されません。
 例えば、あなたに二人の息子がいるとしましょう。一人は父親のあなたより遙かに霊格の高い霊魂かも知れません。そういう霊にとっての本当の生き甲斐はあなたが考えるものとは当然違って来る筈です。あなたが財産を譲ろうとしても「金はいらん」と言って奉仕の道に入るかも知れませんし、出家して僧侶になるかも知れません。あなたはそれに反対する権利はないのです。
 一方、もう一人の息子は霊的に未熟で善の認識の程度が極めて低く、いわば動物的段階を脱っし切っていないかも知れません。そして、やがて成人して屠殺場で働くようになるかも知れません。が、あなたはそれを止める権利もなければ責任もなく、「あんな息子にしたのは父親の自分が悪かったのだ」などと悔やむ必要もないわけです。
 あなたがこの世で全責任を持つべき人間は一人しかいません。それは外ならぬあなた自身です。自分自身への責任には口実も弁解も言い逃れも許されません。自己弁護して責任を回避しても、それだけあなたの霊的進化が遅れ、損をするだけです。そして、どうせいつかは責任を取らされるのです。ならば一切の虚偽や見栄をかなぐり捨てて、自分の行為と思想と言葉に責任を持とうではありませんか。