自殺ダメ



 兄が事故死したのは終戦日の翌日、昭和二十年八月十六日である。が、その一週間ないし十日程前から、母の身辺や夢の中に不吉なことが連続して起きていた。母が私に語ってくれたことを幾つか紹介するが、何しろ遠い昔の話なので、細かい点までは正確でないかも知れないが〝事実〟そのものには間違いはないと思う。
 その一つは、夢の中で母が丹精して育てたオクラが見事に実って、いよいよ明日は獲り入れておかずにしようと楽しみにしていた、その日の晩の内に、誰かにきれいに盗まれてしまった。それを見た瞬間、母の胸に不吉な予感が走った-これからという大切なものを取られてしまうという予感である。目覚めてからも嫌で嫌で堪らなかったという。
 大切なものといえば、どの子も皆大切である。が、いよいよこれからという頼もしいものといえば長兄であろう。空襲で死ぬのだろうか、それともいよいよ最前線へ送られて戦死するのだろうかと、あれこれと思い巡らしている内に、今度は次のような不気味なことが起きた。
 その日、母はタライを外に持ち出して、しゃがみ込んで洗濯をしていた。その直ぐ側に大きな竜眼の木があった。ブドウの大粒のものをもっと大きくした位の果実をつけ、皮は固いが、それを剥くと、歯ごたえのある果肉がたっぷりあって、日本の果物にはない、亜熱帯特有の甘い汁が口一杯に広がる。薬用にもなるという。そこにあったのはかなりの巨木で、直径二十センチ程もある太い枝が何本も出て、その先に竜眼がたわわに実っている。
 その内の一本が、洗濯をしている母の真上で、風もないのに、いきなり〝ミシーッ〟という音を立てて折れ、直ぐ頭の上まで垂れ下がったのである。枯れ枝ではない。太くて元気な枝である。折れた所がささくれだっていたことからも、生木であったことが分かる。それを見上げた瞬間、又もや母の胸に不吉な予感がよぎった。元気盛りの者が命をもぎ取られるという感じがしたという。
 そして、いよいよ事故死する前日の夕刻に注目すべき心霊現象が起きている。疎開先の家は山の中腹、だらだら坂を五分ばかり登った所にあった。夕食を終え、母は食事の後片付けを女中に頼んで、明日の買い物に出かけた。真夏のことなので日の暮れるのが遅い。我々子供は又遊びに出かけ、家にいたのは女中一人だった。その女中が母に語った話を纏めると-。
 みんなが出払った後、お膳の物を片付けて炊事場の流しの中に置いた。田舎の粗末な家で、炊事場は土間になっており、勝手口が玄関と共用になっている。女中は直ぐには洗わないで、一旦座敷に上がって一息入れていると、その流しの方向から、茶碗を洗うような音がする。
 「変だな。奥さん、もう帰られたのかしら・・・」
と思いながら炊事場を覗いて見ると、頭から真っ白い布のようなものを被った人物が、その流しに向かって洗い物をしている。誰かしらと思っていると、やがてくるりと向きを変えて、布で顔を隠しながら女中の目の前を通って勝手口から出て行った。
 その姿が見えなくなってからようやく我に返った女中は、急に怖くなった。そこへ母が帰って来た。女中は慌てて走り寄り
 「奥さん、今お茶碗を洗われました?」
と訊ねた。
 「まあ、どうしてあたしが?今買い物から帰って来たばかりじゃないの。ホラ!」
と言って、買い物かごを差し出して見せた。
 「でも変なんですよ。今、真っ白い布を被った人がお茶碗を洗って出て行きましたよ」
 それを聞いてハッとした母は、流しの所に駆け寄って見た。すると、なんと、長兄の茶碗と箸だけが、洗って水切りの中に置いてある。瞬間、又もや母の胸に不吉なものが走った。
 「で、その人はどっちに行ったの?」
 「裏山の方へ行きました」
母は大急ぎで裏へ回って見回したが、人影はどこにも見当たらなかった。