自殺ダメ



 水を飲んだ後兄は、改めて「行ってきます」と言って出かけた。そして十数分後にトラック事故で死亡する三人の内の一人となってしまうのであるが、その事故原因は日本の敗戦と妙なところで繋がっていた。
 兵隊の間では、玉音放送が何のことか今一つはっきりしないながらも、どうやら敗けたらしいということで一致し始めていた。そう言えば、それきり敵機が飛来しなくなった。が、一方では、もしかしたらこれは米国の謀略かも知れないから用心しようという警戒感も強かった。
 しかし、その夜、兵隊達はヤケ酒を飲む者が多かった。兄達が乗ったトラックの運転手もその一人だった。が、謀略である場合も考えて、その朝もいつもの通り学生をトーチカ工事へ運ぶことにした。こうして運命の歯車は悲劇へ向かって、刻々と回転して行った。
 学生を満載したトラックは、酩酊運転で橋の欄干の一番手前の親柱に激突し、学生達は炎天で干上がっていた河原へ放り出された。一番後ろにしゃがみ込んでいた兄は一番遠くへ飛ばされて岩に叩きつけられて、左脚の大腿部を砕かれて、出血多量で死んだのだった。死者僅か三人-その一人が兄だった。殆ど重軽傷を負ったが、橋の直ぐ側の樹木の枝に引っ掛かって助かった者もいたという。
 実はその十数分前に、母と兄との間に、何でもなさそうで、後で重大な意味を持つことになるエピソードがある。
 母はいつものように弁当をちゃんと持たせたのに、何を勘違いしたのか、兄の姿が見えなくなってから、〝しまった!弁当を持たせるのを忘れた〟と思って、慌てておにぎりをこしらえて、兄の後を追いかけた。山を下り切った所に停留所がある。そこへ辿り着いた時は、もう直ぐトラックが出発するところだった。母は一番後部に乗り込んだばかりの兄に
 「豪(ひで)ちゃん、ホラ、弁当!」
と大声で言いながら駆け寄った。すると兄は
 「あるよ、ホラ」
と言ってそれを見せた。そうだったのかと思ったが、食べ盛りの男の子なので
 「これも持って行きなさいよ。二つ位食べられるでしょ?」
と言った。が、周りの友達の手前、兄も体裁が悪かったのであろう。
 「いいよ」と言う。母は
 「まあ、折角だから持って行きなさいよ」と言う。
 「いいって言ったら」
そう言い合っている内にトラックは遠く離れて行った。母は一人ぽつねんとして、弁当を両手で腕の辺りに持ったまま、兄の乗ったトラックを見送った-それが今生の身納めとなるとも知らずに。事故の知らせは母が家に帰って来て間もなく届けられた。